2015年10月29日木曜日

僕らのキャリアや仕事に結局正解はないということ

最近、百聞は一見にしかずというコトバを強く実感する。
今、住んでいる町、Davisは僕のカリフォルニアのイメージと少し違っている。
僕のイメージでは広大な庭付きプールがちらばってあり、ヤシの木が広い道路の側面に生い茂っている感じだったけど、Davisはわりかし狭いエリアに家が集中し、ヤシの木もそれほど見かけない。そして、そこでの生活は危ないイメージのある「アメリカ」とはかけ離れたものだ。
こんな感じで、人のイメージや、教科書の知識は外れることが良くある。
これはキャリアとか、仕事とか、正解がないことにつながっている。
というのも、僕らの時間は有限である。
もし僕らの時間が無限なら、僕らはきっと全てを「見る」ことができる。
しかし、僕らは分からない情報を聞き、解釈し、謝っている可能性がある情報の中で意志決定をせざるをえない。

だから、結局のところ、自分の人生は自分で選ばなければないないという、陳腐な結論に陥る。しかし、それはきっとほんとで、各自のストーリーに従って生きるべきなのかもしれない。

勉強法について(中間まとめ)

反省すべきことがたくさんあるので、まとめておきます。
全て基本的なことばかりなのですが、受験期の時点で直前になってしかやらないタイプだったにも関わらず、更に大学で「勉強の仕方」を忘れているので、まとめねばならないというアホさ加減。極めて普通のことだけど、きっととても重要なこと。

1.予習・復習をしっかりやる。(とくに復習。その日の授業はその日に消化する)
2.課題は前もって、やっておく。(これができないと1ができなくなる。)
3.何を目的として履修しているかを意識する。(自分が深めたいことを自分の深めたいレベルまで深めること)
4.他の人の視点を求める。
5.分からないことがあったら、聞く(オフィスアワー!当然!)

継続は力なり、もとい「継続のみが力なり!!!」

2015年10月28日水曜日

10/27

Today, I couldn't concentrate on the study although I have a test next day.
It's because I thought again about why did I come here.
If the only reason is studying, I didn't have to come here.
It's better that I just stay at my home and keep studying.
I came here to learn something that I'll not get If I were in Japan and make fun.
I need to love  the person I met and will meet.

I spent noon to make research about my GPA and also GPA that is requested for Top MBA school.
Talking the conclusion first, the GPA that asked for is around 3.6.
And also, I can't change my GPA from 3.2 if I do my best after go back or get the good grade here in Davis.
So,I thought it's better to focus on improving my skill and mind , not engage in GPA.
Although I think average GPA is 3.6, I didn't say it's impossible to enter.
If anything, there are more large possibility compared to other graduate program.
Anyway, I don't have to care about Grade.(I'll do best, but don't have to stick to it.


By the way, I realize that the political activity is very active here in Davis.
I found some post of club that established to help their candidate and poster for non-arm activity. It seem curious for me since we can't see these kind of activity in Japan.
We, Japanese, regard politics as something mysterious and untouchable.
However, we are the player and sovereign of our state.
I thought we needed to commit more in frank way

一ヶ月(はりつけ忘れ分)

いつの間にか、留学から一ヶ月が経ってしまったなという印象を持っている。
一ヶ月ということはすでに約7分の1が終わってしまったということ。
時というものは、僕らという主体を置きざりにして、先に進んでしまうことが良くある。
そんな感じだ。
自分で達成したいこと、レベルが確かにそこにあって。でもそこには届かなくって。
焦って、時間だけが過ぎていく。
最近感じるのは、僕は結局器用ではないのだろうな、ということ。
同時に二兎追うことは今の僕には難しい。
しかし、考えてみれば、まだガッツリと授業を受け始めてから2週間しか立っていない。
1週間目は家探し。2週間目は環境慣れ。3週間目は授業慣れ。4週間目の今週初めて授業に集中して望めた。
このように考えると、まだまだ焦る必要はないなと思える。

最近、自分の時間が出来てきて、果たして自分がどういう生き方をしたいのかを考えることが多くなった。
それは子持ちで学生やっているヒロさんの話を聞いたのも大きいかもしれない。
またGacktがやっているラジオを聞いたからかもしれない。
そして、少なくとも、僕は僕が男である以上は、男としての生き方に憧れるのだなと思っている。
それはつまり「何かを背負い、それに命を燃やす」ということである。「死ぬ気で生きてみる」ということである。
残念ながら、僕らの人生は一回きりのゲームである。復活はまずないと思っていた方がいい。
だからこそ、その「質」に僕らの人生の意味はあると思う。
限られているからこそ、僕らは全力で生きようとする。
もし無限の人生を生きられるなら、誰も努力などしないのだ。
そう思えば、何かを背負い、それを守りながら、前を向き攻め続けるような人生の方が面白い。
それは家族でも、社会でもいい。
しかし、人間の精神は儚くも弱い。
もし仮に社会を背負っているとしても、その際に自分にかかる重量は決して重い訳ではない。
社会は皆で支えているからだ。


しかし、家族は違う。家族を背負った男の目は、思考は違うなとつくづく思う。

Why am I here???(49/204)

Almost  one and half mouth passed since I came here.
There are bunch of things that I wouldn't experienced if I were in Japan.
But, I am now regretting one thing; fearing to jump in the chance.
My English skill is still pretty low.
I can't make smooth talking with the friends.
Of course I'm sure that it's my fault, not others.
However, in there days, I got feared to talk with foreigners and made the reason to flee from 
the communication.
I definitely have to make effort to improve my skill of English.

What do I lack of?
I guess it's passion and feeling of duty, the purpose to come here.
For instance, Hiro-san have passion for his family, so he can make effort.
What's my passion and dream and the goal????

And I feel that it's important to have the perspective of  "how to maximize my stay here"


From the experience of this one and half month, I wanna decide my rule.

1.Wake up at 5:30
2. Come MU at 7am every morning.
3.Work out for less than hour every day
4.Study by myself for at least 6 hours.
5.Make review session within the day I got the class.
6.Go to the office hour if you don't have any question.You have to make your question.
7.Take a time to learn English itself at least 30 minutes every day.
8.Write dairy everyday to improve my lifestyle , not to remember. I live in the future
(Steve Jobs say to himself every morning " If this is the last day of my life, Am I satisfied?")
9.Jumping in the opportunities to make friends to learn their thought and fun and learn English!
10. Not become too economical( Think about why I came here and how to spend my 24 hours each day)



2015年10月27日火曜日

四分の一(48/204)

もし仮に、3/31に帰国するとして、すでに1/4が終了しかけている。
自分はこの1/4で何か成長しただろうか。
新たな自分になれているのだろうか。
全くなれていない。結局中途半端なのだ。
もっと本気で挑め。何のための留学なのだ。
節約するため?食べるため?買い物するため?
寝るため?
そうでは決してない。

留学ブログを読んでいて、自分のパッションは何だと問いかけている人がいた。
本当にそうだ。
なぜ私は留学したのか。
目標はなんなのか。

予習・復習をその日の内にしろ。
気になることがあったら、オフィスアワーを活用しろ。
授業で発言しろ。
死ぬ気で勉強しろ。
もっと集中しろ。
勉強して何かをした気になるな。
効率をあげろ。
ルーティンで生活しろ。
人のことを言っている場合ではない。
日和るな。
機会に飛び込め。

後、確実に言える僕の弱みは「準備を怠る」ことだなと思う。
受験の時もそう。
サークルもそう。
なぜ自分がこれをやっているのか、が長期的にはっきりしていないのだ。

またもし、もう一つ弱みを挙げるとすれば「やりきれない」ことだ。
果たして、就活で書いているような「やりきる」経験を今まで私はしたことがあるだろうか。残念ながら、ないのだ。
才能が全くないとは思わない。
今までもそこそこやれてきた。

でもやっぱり、「そこそこ」じゃダメなのだ。


2015年10月19日月曜日

公園・静寂の中で(40/204)

日曜日、おそらく留学後最もダラダラした生活を送った後で、ふっと家の裏にある公園を散歩してみた。今まで、なにかと余裕がなく、訪れたことはなかったのだが、想像よりもずっと大きな公園だったようだ。北へ北へと、意味もなく歩き続ける。
その北に長く伸びた公園はおよそ何と言えるものもなかった。
逆にいうならば、そこにあったのは「無」であった。
しかし遊具も建物もなにもなく、ただただ開けた、そこ場所になぜかとても豊かさを感じるのだった。昔なにかの本で読んだことがある。「無」であるということは、無限の「有」への可能性であると。そういった意味で、ここには「無限」があった。
ただボーと歩いたり。走ったり。ベンチで本を読んだり、話したり。球技をしたり、鬼ごっこをしたり。それは確かに豊かな空間だったのだ。

高い建物のない広い空の下で過ごしていると、どうも自分がどうしてもちっぽけな存在に思えてくる。沢木耕太郎の本のコトバを借りるのであれば、「自分が自然に解き放たれる」ような感覚がする。自分はなぜ生きるか。今の人生は望ましいものか。空にそんなことを問いかけられているような気がするのだ。
僕は東京が好きだ。
あの、ごちゃごちゃした街並みにどこか「人間らしさ」を感じるからかもしれない。
でもたまには、こうした空間で自分を自然に解き放ってみて、自分について考える時間を作るべきなのかもしれない。
前に温泉に行くのは確かに魅力的だけど、温泉って果たしてそんなにいいものかなっと思ったことがある。おそらく、温泉それ自体の価値はそこまででもないのだろう。でもいつもより少し遠くへ足を運んで、露天の温泉につかり、リラックスしながら、眺める森、そして広い空、我々はそれを見に行っているのかもしれないと思う。

こんなことを考えていて、デービスが前より少し好きになった。確かにデービスはなにもない。しかし、ない中でなにを作っていくかは自分自身である。そして、言ってみれば、ここデービスは今まで20年以上の人生の中で初めて訪れた人生の「温泉」なのかもしれない。ここには「無限」がある。
そう思うと少しポジティブになる。