2015年10月29日木曜日

僕らのキャリアや仕事に結局正解はないということ

最近、百聞は一見にしかずというコトバを強く実感する。
今、住んでいる町、Davisは僕のカリフォルニアのイメージと少し違っている。
僕のイメージでは広大な庭付きプールがちらばってあり、ヤシの木が広い道路の側面に生い茂っている感じだったけど、Davisはわりかし狭いエリアに家が集中し、ヤシの木もそれほど見かけない。そして、そこでの生活は危ないイメージのある「アメリカ」とはかけ離れたものだ。
こんな感じで、人のイメージや、教科書の知識は外れることが良くある。
これはキャリアとか、仕事とか、正解がないことにつながっている。
というのも、僕らの時間は有限である。
もし僕らの時間が無限なら、僕らはきっと全てを「見る」ことができる。
しかし、僕らは分からない情報を聞き、解釈し、謝っている可能性がある情報の中で意志決定をせざるをえない。

だから、結局のところ、自分の人生は自分で選ばなければないないという、陳腐な結論に陥る。しかし、それはきっとほんとで、各自のストーリーに従って生きるべきなのかもしれない。

勉強法について(中間まとめ)

反省すべきことがたくさんあるので、まとめておきます。
全て基本的なことばかりなのですが、受験期の時点で直前になってしかやらないタイプだったにも関わらず、更に大学で「勉強の仕方」を忘れているので、まとめねばならないというアホさ加減。極めて普通のことだけど、きっととても重要なこと。

1.予習・復習をしっかりやる。(とくに復習。その日の授業はその日に消化する)
2.課題は前もって、やっておく。(これができないと1ができなくなる。)
3.何を目的として履修しているかを意識する。(自分が深めたいことを自分の深めたいレベルまで深めること)
4.他の人の視点を求める。
5.分からないことがあったら、聞く(オフィスアワー!当然!)

継続は力なり、もとい「継続のみが力なり!!!」

2015年10月28日水曜日

10/27

Today, I couldn't concentrate on the study although I have a test next day.
It's because I thought again about why did I come here.
If the only reason is studying, I didn't have to come here.
It's better that I just stay at my home and keep studying.
I came here to learn something that I'll not get If I were in Japan and make fun.
I need to love  the person I met and will meet.

I spent noon to make research about my GPA and also GPA that is requested for Top MBA school.
Talking the conclusion first, the GPA that asked for is around 3.6.
And also, I can't change my GPA from 3.2 if I do my best after go back or get the good grade here in Davis.
So,I thought it's better to focus on improving my skill and mind , not engage in GPA.
Although I think average GPA is 3.6, I didn't say it's impossible to enter.
If anything, there are more large possibility compared to other graduate program.
Anyway, I don't have to care about Grade.(I'll do best, but don't have to stick to it.


By the way, I realize that the political activity is very active here in Davis.
I found some post of club that established to help their candidate and poster for non-arm activity. It seem curious for me since we can't see these kind of activity in Japan.
We, Japanese, regard politics as something mysterious and untouchable.
However, we are the player and sovereign of our state.
I thought we needed to commit more in frank way

一ヶ月(はりつけ忘れ分)

いつの間にか、留学から一ヶ月が経ってしまったなという印象を持っている。
一ヶ月ということはすでに約7分の1が終わってしまったということ。
時というものは、僕らという主体を置きざりにして、先に進んでしまうことが良くある。
そんな感じだ。
自分で達成したいこと、レベルが確かにそこにあって。でもそこには届かなくって。
焦って、時間だけが過ぎていく。
最近感じるのは、僕は結局器用ではないのだろうな、ということ。
同時に二兎追うことは今の僕には難しい。
しかし、考えてみれば、まだガッツリと授業を受け始めてから2週間しか立っていない。
1週間目は家探し。2週間目は環境慣れ。3週間目は授業慣れ。4週間目の今週初めて授業に集中して望めた。
このように考えると、まだまだ焦る必要はないなと思える。

最近、自分の時間が出来てきて、果たして自分がどういう生き方をしたいのかを考えることが多くなった。
それは子持ちで学生やっているヒロさんの話を聞いたのも大きいかもしれない。
またGacktがやっているラジオを聞いたからかもしれない。
そして、少なくとも、僕は僕が男である以上は、男としての生き方に憧れるのだなと思っている。
それはつまり「何かを背負い、それに命を燃やす」ということである。「死ぬ気で生きてみる」ということである。
残念ながら、僕らの人生は一回きりのゲームである。復活はまずないと思っていた方がいい。
だからこそ、その「質」に僕らの人生の意味はあると思う。
限られているからこそ、僕らは全力で生きようとする。
もし無限の人生を生きられるなら、誰も努力などしないのだ。
そう思えば、何かを背負い、それを守りながら、前を向き攻め続けるような人生の方が面白い。
それは家族でも、社会でもいい。
しかし、人間の精神は儚くも弱い。
もし仮に社会を背負っているとしても、その際に自分にかかる重量は決して重い訳ではない。
社会は皆で支えているからだ。


しかし、家族は違う。家族を背負った男の目は、思考は違うなとつくづく思う。

Why am I here???(49/204)

Almost  one and half mouth passed since I came here.
There are bunch of things that I wouldn't experienced if I were in Japan.
But, I am now regretting one thing; fearing to jump in the chance.
My English skill is still pretty low.
I can't make smooth talking with the friends.
Of course I'm sure that it's my fault, not others.
However, in there days, I got feared to talk with foreigners and made the reason to flee from 
the communication.
I definitely have to make effort to improve my skill of English.

What do I lack of?
I guess it's passion and feeling of duty, the purpose to come here.
For instance, Hiro-san have passion for his family, so he can make effort.
What's my passion and dream and the goal????

And I feel that it's important to have the perspective of  "how to maximize my stay here"


From the experience of this one and half month, I wanna decide my rule.

1.Wake up at 5:30
2. Come MU at 7am every morning.
3.Work out for less than hour every day
4.Study by myself for at least 6 hours.
5.Make review session within the day I got the class.
6.Go to the office hour if you don't have any question.You have to make your question.
7.Take a time to learn English itself at least 30 minutes every day.
8.Write dairy everyday to improve my lifestyle , not to remember. I live in the future
(Steve Jobs say to himself every morning " If this is the last day of my life, Am I satisfied?")
9.Jumping in the opportunities to make friends to learn their thought and fun and learn English!
10. Not become too economical( Think about why I came here and how to spend my 24 hours each day)



2015年10月27日火曜日

四分の一(48/204)

もし仮に、3/31に帰国するとして、すでに1/4が終了しかけている。
自分はこの1/4で何か成長しただろうか。
新たな自分になれているのだろうか。
全くなれていない。結局中途半端なのだ。
もっと本気で挑め。何のための留学なのだ。
節約するため?食べるため?買い物するため?
寝るため?
そうでは決してない。

留学ブログを読んでいて、自分のパッションは何だと問いかけている人がいた。
本当にそうだ。
なぜ私は留学したのか。
目標はなんなのか。

予習・復習をその日の内にしろ。
気になることがあったら、オフィスアワーを活用しろ。
授業で発言しろ。
死ぬ気で勉強しろ。
もっと集中しろ。
勉強して何かをした気になるな。
効率をあげろ。
ルーティンで生活しろ。
人のことを言っている場合ではない。
日和るな。
機会に飛び込め。

後、確実に言える僕の弱みは「準備を怠る」ことだなと思う。
受験の時もそう。
サークルもそう。
なぜ自分がこれをやっているのか、が長期的にはっきりしていないのだ。

またもし、もう一つ弱みを挙げるとすれば「やりきれない」ことだ。
果たして、就活で書いているような「やりきる」経験を今まで私はしたことがあるだろうか。残念ながら、ないのだ。
才能が全くないとは思わない。
今までもそこそこやれてきた。

でもやっぱり、「そこそこ」じゃダメなのだ。


2015年10月19日月曜日

公園・静寂の中で(40/204)

日曜日、おそらく留学後最もダラダラした生活を送った後で、ふっと家の裏にある公園を散歩してみた。今まで、なにかと余裕がなく、訪れたことはなかったのだが、想像よりもずっと大きな公園だったようだ。北へ北へと、意味もなく歩き続ける。
その北に長く伸びた公園はおよそ何と言えるものもなかった。
逆にいうならば、そこにあったのは「無」であった。
しかし遊具も建物もなにもなく、ただただ開けた、そこ場所になぜかとても豊かさを感じるのだった。昔なにかの本で読んだことがある。「無」であるということは、無限の「有」への可能性であると。そういった意味で、ここには「無限」があった。
ただボーと歩いたり。走ったり。ベンチで本を読んだり、話したり。球技をしたり、鬼ごっこをしたり。それは確かに豊かな空間だったのだ。

高い建物のない広い空の下で過ごしていると、どうも自分がどうしてもちっぽけな存在に思えてくる。沢木耕太郎の本のコトバを借りるのであれば、「自分が自然に解き放たれる」ような感覚がする。自分はなぜ生きるか。今の人生は望ましいものか。空にそんなことを問いかけられているような気がするのだ。
僕は東京が好きだ。
あの、ごちゃごちゃした街並みにどこか「人間らしさ」を感じるからかもしれない。
でもたまには、こうした空間で自分を自然に解き放ってみて、自分について考える時間を作るべきなのかもしれない。
前に温泉に行くのは確かに魅力的だけど、温泉って果たしてそんなにいいものかなっと思ったことがある。おそらく、温泉それ自体の価値はそこまででもないのだろう。でもいつもより少し遠くへ足を運んで、露天の温泉につかり、リラックスしながら、眺める森、そして広い空、我々はそれを見に行っているのかもしれないと思う。

こんなことを考えていて、デービスが前より少し好きになった。確かにデービスはなにもない。しかし、ない中でなにを作っていくかは自分自身である。そして、言ってみれば、ここデービスは今まで20年以上の人生の中で初めて訪れた人生の「温泉」なのかもしれない。ここには「無限」がある。
そう思うと少しポジティブになる。


2015年10月16日金曜日

TPPについて

夢について

現在、勉強を中心にした生活の中で自分一人の時間をとれることが多い。
その中で夢について考えることがある。

今のところ私の夢は
(「開発」×「IT」)×「ビジネスサポート」みたいなことになるのではないかと思う。
「開発」はMust、やるべきだと思うこと。「IT」はWill、やりたい(わくわくする)こと、「ビジネスサポート」はCan、やれることというような分類になるのだろうか。

まだまだ他にも職種は様々あるのやもしれないが、
「シリコンバレー(IT)の社会起業系(開発)のベンチャーキャピタル(ビジネスサポート)」という形になるのだろう。

そう考えると、商社/財務は非常に魅力的にうつる。


2015年10月15日木曜日

2015年 ノーベル経済学賞

先日、本年のノーベル経済学賞がプリンストン大学のDeaton教授に贈られた。
彼の専門は私が興味を持つところの開発経済学であり、いくつか彼に関する文章や動画を見たので、ここにリンクを貼っていきたい。


【未読】
http://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=2621334(working paper)
http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/economic-sciences/laureates/2015/advanced-economicsciences2015.pdf(ノーベル賞 Advance information)
https://www.youtube.com/watch?v=MSI9NR-YCAk(LESでの講義動画)


【既読】
http://www.nyudri.org/events/annual-conference-2012-debates-in-development/deaton-v-banerjee/
(RCTに関するベナジーVS ディートンの動画付き文章)
http://econ101.jp/マーク・ソーマ-「アンガス・ディートンが取り組/
(日本語による、ぎょうせき


障がいの社会モデル

ゼミで以前、少しふれた「障害の社会モデル」について、東大の松井教授の分かりやすい動画が
あったのでまとめ。

・「ユニバーサルな職場」といった際に、どうしてもスロープなどのハード面に目がいきがちだが、
重要なのは「労働時間のフレキシブルさ」や「上司との相談時間」などのソフト面での支援。


「障害の医学モデル」:障害は個別的な特性
「障害の社会モデル」:障害は社会の方にある
例)我々は階段を上れるか、上れないかで健常者と障がい者を区別することができる。
しかし、もし階段が上り棒であったなら、我々のほとんど全てが障がい者になる。
つまり、社会が障がいを生み出していると考える。

ユニバーサルデザインというと、全てがユニバーサルであるべきという考える人がいるが、
それは進歩の停止をもたらす。使える人が使い、取り入れ、そうしている内に、より利用者の裾野を広げる
方向がユニバーサル。
崇高な理念ではなく、目の前にいる人がよりよく働くためにはどうすればいいかを考えるのが重要



【参考動画】
http://www.works-i.com/works20/diversity.html#sec_d

2015年10月10日土曜日

国際関係論 概論

リアリズムの巨匠、Stephen Waltが国際関係論の初学者に向けて書いた20ページ弱の論文『International Relations; One World, Many Theories』を読んだ。
現在、Upper divisionのIR科目、Politcis of Interdependenceを受講しているが、国際関係論自体は初学者であるため、徐々にこういった基礎知識をつけていきたい。

【まとめ】
冷戦前・原初の思想

・リアリズム

国際社会を自己利益・生存追求の主体としての国家が経済力と軍事力という二つの”力”を使って、競争し合っている様と捉える。
→ネオリベラリズム=人間の本質を無視し、より国際社会のシステムの影響に焦点を当てた学派

・リベラリズム
国家の純粋な能力よりも、その選考が国家行動を決めるとして、当該国・共同体の経済体制や政治体制が重要視する力する。 
国家間の相互作用が政治レベルだけではなく、企業・国際機関・個人を通じて経済分野まで及ぶとする。
例えば、
国際機関による平和構築理論や、民主主義による「歴史の終わり」などはリベラリズムの例である。

・ラディカルなアプローチ
冷戦前までの有力なアプローチは「マルクシズム」であった。マルクシズムは資本主義を様々な闘争の根源とした。ネオマルクシズムにおいては、巨大な資本主義国家がその他の貧しい途上国を搾取することで富んでいるという世界観を示した。しかし、これらは冷戦の終結とともに急速に収束していった。

※追記:国内官僚組織や各国首脳に注目して、国家の国際的活動を説明する方法もあるが、これは上記の3つに対する補足とみなされることが多い。

冷戦後の新しいパラダイム

・復活したリアリズム
リアリズムは冷戦後も一定の地位を築き続けている。
近年では相対利得・絶対利得の概念の発見/攻撃的・守備的リベラリズムの決定的な断絶が特徴的である。

・リベラリズムの新たな潮流
ソ連崩壊後、民主主義の平和を唱う理論が生まれる。またグローバリゼーションの中での経済の相互連関の理論でも未だ強い影響力を持っている。

・コンストラクティビズム

コンストラクティビズムは分析対象を国家ではなく、エリートを中心とした個人に向け、そうした個人の信念や共同体の規範が国家の行動を左右すると主張する。

【参考Web】
http://geopoli.exblog.jp/23511707/

2015年10月6日火曜日

ライフワークバランスについて考えること

世界的に働きすぎると言われている日本人にあって、
最近ワークライフバランスなる言葉が流行っている。
そして、キャリアにおいてもワークライフバランスをしっかりとれるような企業がホワイト企業として適切な評価を受けている。父の長時間労働を常に見てきた身としては、こうした風潮に対し、ポジティブな印象を抱いている。


しかし、ライフとワークを必要以上に分けて考えることに関しては否定的である。
英語においては全く意味が一緒であるから分かりにくいが、ここでいうライフは当然、日常生活としてのライフである。
私が強調したいことは、自明なことではあるのだが、ここでいう「ライフ」と「ワーク」の上にもう一つ”ライフ”、人生としての
”ライフ”があるということである。

この”ライフ”をどう生きたいか。
その上でどう「ライフ」と「ワーク」を構築していくか。
そして、そうした目標を胸にいかに今を生きるか。

こう考えるべきではないだろうか。

さらっと付け足したが、最後の「いかに今を生きるか」は非常に重要である。
僕らは目標などを立てて、どうしても抽象に逃げたがるが、私達が生きているこの世界は、人生は、
どうしようもなく具体的である。
この具体性に対して、自分がどう生きるか。

『夜と霧』にもあったように、
私が生きる意味を問うのではなく、生そのものが私に問うのである。
これは一見、言葉尻には理解しにくいことかもしれない。
しかし、私は「今の行動によって、自分の生そのものに自分の生きる意味を示す」
ということだと理解している。

結局のところ、今の一秒一秒が自分を形作っているのだから。

TEDxUC Davis

I went to the TEDxUC Davis at 10/3.
There are four talk and some performance.
Considering cost and time, it is not good experience, but I could learn something from it.
So I'm gonna write about it.

【What was the purpose of Museum】
The woman making presentation is the kind of curator of museum.
The first thing I realized from her talking is that  the museum also is the place for users.
If the goal is storing the historical legacy, it is better to put them into some warehouse.
So it is perfectly important to think about "user experience" for museum.

What is the best way to display them?
What kind of picture is needed to enhance guest's experience?

As I realized before, all of the services including the museum give their customer "experience", instead of the things.


And the second thing is that one of the purpose of museum is conveying "who you are" and "what is the human being, nature and earth?". It means helping people make their identity, which is very broaden reason.


【The Work of Curiosity】

He mention that once you get some curiosity to particular things, it will improve your remembering ability to not only our target, but also other things. So especially for educator like a teacher, it is incredibly critical to arouse their curiosity in class.

2015年10月2日金曜日

北朝鮮のある女性の物語

先日、LiNKという団体のイベントを通して、北朝鮮から亡命してきた女性の話を聞く機会があった。
このイベントは本当にただ、彼女の話を聞くだけに終わった。
しかし、彼女のストーリーはあまりにも残酷で、それでも今ここアメリカで足を落ち着けて立っているという事実に人間の強さを感じた。

日本にいれば、このような機会はなかっただろうし、彼女のストーリーを大まかにまとめよう。


彼女の父親は官僚組織のお偉方だったらしい。
平壌に済んでいた1980年代後半から、1990年代前半にかけて食糧供給は順調で、彼女の家族は父親の立場のおかげもあり、不自由のない生活を送っていたらしい。
しかし、1994年に金日成が息絶え、金正日の治世になってから、状況は大きく変わった。平壌への食糧供給はしだいに衰えていき、(おそらく彼女の父親の権力的失墜もあったのかもしれないが)彼女の家族は田舎に逃げることにした。(とはいえ、北朝鮮では移動の自由は認められていないため、逃げることができたという面で彼女の父親の力はまだ残っていたと見ることもできる。)
田舎の方が食糧がある、というのは今もそうらしい。
ただ、野菜などはあっても、肉などのタンパク源がない。彼女の妹はネズミを煮て、食うことで幼児の栄養失調状態から脱したということだ。
田舎ですら、それほど食糧が足りてなかったのである。そして特に冬、そして冬開けの4月などは前年の生産物を食い尽くすため、餓死者が増加するらしい。


兄弟姉妹4人、両親2人、祖母1人の8人の家族を支えきれないと判断した、彼女両親は危険を覚悟の上、中国へ食糧の探索に行くことにした。
子供を身ごもっていた母親は途中で引き返したが、父親はそのまま中国へ入った。
しかし父親はいくら待てど帰ってこない。
しばらくして、政府より父親が脱走の疑いで射殺されたことを知らせる手紙を受け取った。
それから、母は身ごもった子供を生んだため、家には子供が5人いることになった。
母は当初、生まれてきた子供を殺そうとしたが、できなかった。その子供になにも罪はないからである。


母は父の死で塞ぎこんでしまったため、今度は長女が食糧の探索にでることにした。彼女は数日で戻ると言い残し、数週間の間帰ってこなかった。
当時、高校生ぐらいの年齢であった長女は誘拐され、中国に売り払われてしまったらしいという情報を後から受け取った。
その後、彼女は自分が家族を支えるという想いを胸に懸命に、ついこの間生まれた赤ちゃんの世話をした。しかし、栄養失調が原因で彼は彼女の胸の中で死んでいった。そして、あまりの状況に精神的に病んでしまった祖母もなくなってしまう。


いよいよ、彼女達の家族は中国へ逃げることを決意した。



そして山の上り下りを繰り返した。彼女は生き残った兄弟達の中で最年長として弟を、母は妹をおんぶしていた。
途中、靴もなく、足があまりにも痛んだ彼女は母に自分はこれ以上弟を運べないことを告げた。
そこで、母は弟を知り合いの家に預けることにした。
弟は「なぜ僕ではなく、妹を連れて行くのか」と泣き叫び続けたらしい。
それでもなんとか、迎えにくるからと説得し、家を出て、国境の川を渡った。
この川は一方通行だと知りながら。
彼女は今でも、あのときのことを後悔しているという。
自分があのとき痛みを我慢し、母親になにも告げなければ、自分の横に弟がいたかもしれないからだ。
後から、知り合いに聞いた話では、知り合いの家もいよいよ食糧がなくなり、弟は家を追い出されてしまい、道ばたで餓死してしまったということだ。


中国に入ってからも苦難は続いた。
中国で見つかってしまっては、本国に連れ戻されてしまう。中国語をひたすら勉強し、家族のために働いた。
あるとき、ある慈善家が韓国に連れて行くことを提案した。
彼女は承諾したが、車に乗ることができる人数は限られていた。
中国語ができた彼女は仕方なく、家族を目的地、北朝鮮と中国の国境に送ってもらい、自分は別のルートで行くことにした。
しかし、道の途中で警察に捕まり、拷問を受けることになる。
殴られ、吊るされ、顔は別人のように、自分の力で立てなくなっていた。
その後、その警察が慈善家とつながっており、解放が許され、彼女は家族と合流できた。(警察は彼女が来ることを知っていたらしい)


しかし、彼女達家族は北朝鮮から韓国に移動する際に、警察に捕まってしまう。
監獄にいれられ、数ヶ月後、解放され、その後も逃げ続ける生活が長らく続いた。
最後には、慈善家が韓国への逃亡を計ってくれ、彼女は無事韓国へ亡命、その後、慈善家の手はずでアメリカに母・妹・自分の三人で訪れ、今にいたるということだ。


その後も彼女の苦難は続く。
アメリカという全く異質の環境で、彼女は母・妹を養うために一日16時間以上働き続けた。
そして、渡米から5年立ち、ようやく米国人への恐怖を克服、勉強を始め、8年たった今では英語も話せるようになった。
そして自分の同じような環境にある北朝鮮の人たちを救うため、彼女は団体を立ち上げ、現在活動している。



今回は彼女が語ったことをそのまま叙事的に書き綴ったが、それでもなお彼女の人生の物語は我々に様々な訴えをしてくる。
我々が意識すべきなのは、これが決して歴史ではなく、現在進行形として起こっている事実・現象なのだということだ。
第二次大戦後も、様々な戦争が絶えないように、ホロコーストが全ての非人間的行為の終点ではない。

日本にいると、どうしても政治体制としての北朝鮮、核問題、拉致問題に目がいきがちである。当然、それらは国際的に、あるいは日本人として非常に重要なイシューではあるけれど、その足下で飢餓・圧政に苦しんでいる、”人間”がいるということを我々は忘れてはいけない。



いつの間にか10分の1が終わってる。。。(22/204)

思ったことはタイトルにある通り。
もし3月末に帰ることにするならば、もう10分の1が終わってしまっているということ。
しかし、最近ようやくこっちの生活に慣れてきたといったところだ。
帰国準備など含めて、こちらにいられる時間はそんなに長くないのだということが実感される。

一日一日を大切に生活する。
今後、クラブに入る、あるいは勉強面でテストなどが入ってくるとより忙しくなることは間違いない。

そういった中で、自分に残された時間をいかに有効に使うかはしっかりと考えなくてはならない。




ここで、どの日にどのくらいの割合が終わってしまうのかを書こう。

5分の1)10/21
4分の1)10/31
3分の1)11/16
2分の1)12/18
3分の2)1/23
5分の4)2/20

うおーーー、以外に短い。できることってそんなに多くないね。


2015年9月30日水曜日

「意識高い系」とは何か

「意識高い系」とは何か

近頃、「意識高い系」という言葉を良く耳にする。
そして、それは往々にして否定的なニュアンスを帯びている。
「意識高い系」とは何か、そして彼らはなぜ好意的ではない扱いを受けるのか分析してみる。     

まず「意識高い系」を規定したい。
まず「意識が高い」とは何に対し、どのような意識が高いのだろうか。
筆者のイメージをなぞらえるならば、「社会を変えること」あるいは「自分のキャリア向上」に対し、積極的な
気概を持っているということである。
しかし、一般に「社会を変えること」に本気なはずの、大統領や首相、大企業の社長のことを「意識が高い系」とは呼ばない。
彼らは「意識が高い」人間だろうが、「意識が高い系」ではない。
一方、インターンや国際交流団体に参加している学生の多くは「意識が高い系」と呼ばれる。

この違いは明らかに理想と実力、あるいは夢と達成可能性、願望と努力のギャップにある。
多少の運はあったにせよ、俗にいう「意識が高い」人間には自分の理想・夢・願望と、それに対する努力、そして実力、
夢への到達可能性のギャップがほとんどないと言える。
一方、「意識が高い系」の学生はそのギャップがあまりにも大きいため、反感を買うのであろう。

理想と実力という二軸で物事を考えると、考えられるのは4パターンの人間像である。
①理想も実力も高い人(=「意識が高い人」)
②理想は高くも、実力がない人(=「意識が高い系」)
③理想は低くも、実力がある人(=「謙虚系」?)
④理想も低く、実力もない人(=「無気力系」/「マイペース系」?)

こうして見ると、②に対して、①③④がそれぞれ異なる反応を示すことがわかる。
①から見れば、②は軽視の対象である。③からは軽蔑の対象、④からは嫉妬の対象になる。
なぜ④から見れ、嫉妬の対象になるかだが、④の人間はさらに二つに分けられる気がする。
それは自分の道を行くマイペース系と社会のレールには一応乗る、無気力系である。
無気力系は社会のレールに乗るので、大言壮語を吐いて、就活などを有利にすすめる「意識高い系」に
対し、嫉妬を覚えるのである。

以上、まだまだ深堀は出来そうだが、俗にいう「意識高い系」について思ったことをまとめてみた。



2015年9月25日金曜日

9/23/2015

Today, I overslept.
Then I move to MU to have lunch with Tim, Mao and Takuya. Through sending the message to them to invite them to this lunch, I realized the importance of moving and doing by myself.
Anything won't change unless I take some action.
After taking presentation of "making friend", we , with some Taiwanese , participated welcome event held by christian organization. That was awesome experience since I did some activities like bubble run and ballon soccer. But I realized my lack of stamina so much through it.
And at the night, we joined one event called hiding night, which is kind of Kakurenbo.
Even though it was nice, I thought there are more potential to make it more enjoyable. I mean it will become more competitive. For example, like a stamp rally, find all of the hiding person and someone who go back first is winner.

2015年9月23日水曜日

自分はどんな人に憧れるのか

自分はどんな人に憧れるのだろうか。
ミスチルの桜井さん、尾崎豊、チェゲバラ、スティーブ・ジョブズ、ゆーまさん、父もそうかもしれない。

共通点はおそらく「自分がやりたいことにとにかくまっすぐ」なことだ。
つまり彼らは未来を見据えながらも、今を生きている。外から見ている僕には少なくとも打算的に思えない。
そして「やりたいこと」をやっているからか、とても楽しそうである。

この「やりたいこと」を、「楽しく」やるという、とてもシンプルなことにここ長らく悩んでいる気がする。
そして「かっこいい」ことも一つの要件であるなーと思う。

そんな自分の「やりたいこと」はなんだろうか。
やりたいことではなく、
「やっていて楽しいと心から思ったこと」「やっていて感動したこと」
「心が大幅に動いたとき」
・ブロック作り
・歴史の授業、伝記を読む
・恋愛的なドキドキ感
・授業で問題があたり、ほめられたとき
・スキーの大会のとき
・チェルシーがCLで優勝したとき
・M1をみているとき(お笑い全般)
・自分の書いた文章を読んでくれ、反応があったとき(文明塾?)
・大学受験に受かったとき
・中学受験に落ちたとき
・TISPの最終日の感動
・ドラマ・アニメ・漫画などの最後の感動(おそらく「別れ」がテーマ)
・被災地に行き、崩壊の様を見たとき

本を読むのも、ドラマやアニメを見るのも、海外旅行に行くのも自分がそこにあるような劇的な体験をしたいという裏返しなのかもしれない。

なんか、なんでもそういえてしまうのだけれど、「創る」「作る」ってことが一つキーワードになっている気がする。

・それは一人でやった方がいいのか、複数の人と作り上げた方が楽しいのか。
分からないが、やっぱり誰かと想いを共有したかったりするのかなー、って最近思う。

後、古いー新しい軸でみたら、やっぱ新しいことに心惹かれるのかなーなんておもったりする。

最近良く思うんだけど、俗にいう「開発」分野に興味ある理由って色々思いつくけど、結局のところ論理的に導きだされたものよりも、「浮いている人」「人に話しかけられない人」を放っておけない性格にあるんじゃないかな、って思う。自分も必ずしもコミュニケーション能力が高い訳ではないんだけれど、別に崇高な思いがある訳ではなくて、なんか放っておけない。無理矢理巻き込もうとしてしまう、みたいなところがあるんだろうな。
だから結構「オタク」みたいな友達も出来やすいんだと思う。それが自分の中で刺激になっているから、非常に良いのだけれど。



留学の軸/目的

留学の軸

ⅰ)将来的な夢を明確にする
将来的に海外のデザイン・テック系カンパニー(特に途上国開発領域)で働きたいという夢を何となく導きだした。
その夢は大きい一方で、
・どのような人材が求められているのか
・どのような技術・製品的潮流があるのか
・どのようなキャリアパスがあるのか
・どのような人が友であり、ライバルなのか
などを明確にする必要があった。

ⅱ)将来の夢に必要なことの準備をする

また海外で働いてみたいといえど、現状①英語力②文化を超えたところの共創力③ロジカルシンキング
④発想力⑤やりとげる体力⑥セルフコントロール能力(自己管理能力) などが圧倒的に欠けているように思えた。

①英語力
帰った段階でTOEFL105点くらいはとれる英語力に仕上げたい
ⅰ)英語での論文・レポート執筆経験
ⅱ)英語でのディスカッション経験

②共創力
共に何かを作り上げる経験ができると、その中での文化的なコンフリクト、
考えの違いを乗り越える力が手に入れられると思う。

③ロジカルシンキング
これは授業や論文を書くなどに取り組んでいる中で、磨かれる側面があると思う。

④発想力
柔軟にものごとを考えてみる。ポジティブにものを見てみる力である。
デザインの授業で深堀されるか?

⑤やりとげる体力
隔日でジムに行く。

⑥自己管理能力
毎日、決められた時間に起き、決められた睡眠時間で、決められた生活を送る。

ⅲ)アカデミックに身を埋めてみる
アカデミックに身を埋めるという経験は必ずしも上の二つとつながらないかもしれないが、
それでもなお、この留学の目的としたい。
なぜならアカデミックな観点は超長期的な観点に立ったとき、問題分析能力を与えてくれるばかりでなく、
人間社会を理解する、本質を理解するツールになりえるからである。

そして私の目的には教養というよりも、リベラルアーツ、すなわち自分を「自由」に導いてくれるツールとしての
アカデミックを志している。

社会科学としての
・経済学
・政治学
・社会学
・統計学

人文科学としての
・歴史学
・哲学
・美学

それらを組み合わせ、問題を解決していく横断的な思考をこそ手に入れたい。

しかし現実的に考えたとき、全てを等しく掘り下げるのは極めて難しい。
故に経済学的なアプローチを中心としたT型の人間像に迫っていきたい。

そして今回のアカデミックの一つの目標として、
①経済学の深堀+②事例研究の仕方を学ぶ

というのがあると思う。
経済学において、事例研究が行われることは少ない。(特に東大で行っていた計量経済学的なアプローチにおいては
そうである。)
しかし、実際問題として、何か現象があったときに、その細かな流れを探るためには事例研究は欠かせない。
よって、経済学以外の文献を読み解く力を身につけることが一つの目標になる。



留学をどう位置づけるか(自省)

9/21、ゆーまさんと電話で話して、とても痛いところを突かれてしまった。
やりとりとしては
「なんでインターンしたいの?」
「◯◯だからです」
「△にとってはインターンは無価値なんだなーと思う」
「どういうことですか」
「ぶっちゃけ、就活とか含め外の価値観で考えていて、自分がどうしたいとかっていう
中の価値観が固まりきれてないよね」
「確かにそうでした。周りが就活を終えていく中で自分の焦りがあったかもです」
「留学の軸が正しく定まっていないように思う。△の目標を達成するだけなら、
インターンという枠にする必要があるんだろうか」
「たしかし」

的なやりとりをした。

留学の”軸”は未だ定まっていないように思う。
もしくは色々とやりたいことが多すぎて、まとまりきれていない、プライオリティ付けできていないのかも
しれない。

やるべきことは
「今回の留学は今後一生とは言わないまでも一定期間の中でどのように位置づけられるのか」
「今回の留学の軸はなにか(ここでしかできないことは?」
「軸をどのように達成できるか」

という点を明確にすることである。

正直、確かに「道を外れた」といえど、いずれにせよ「王道」というか正規ルートにいることは間違いない。

2015年9月22日火曜日

本留学に至った理由

アメリカに着いて、すでに一週間弱が過ぎている。ここで改めて、4年生という中途半端なタイミングで留学することを決意したのか、およびこの留学における目標を記しておきたい。

【留学に至った経緯・理由】
曖昧な記憶ではあるが、今までもなんどか留学に行こうと思ったことがある。
しかしいずれの場合も機会費用・費用対効果などを考えて、踏みとどまったままであった。つまり、もし海外に出たいのであれば院で出た方が専門性は身に付く、あるいは仕事をし、収入を得る期間を一年削って、お金を使うという行為があまり合理的に見えなかった。

就職活動では商社に行こうと決め、五大商社の中で一番最初に開催していたインターンに参加した。

インターン、一日目、こう思ったのを覚えている。
「本当にこのままでいいのか?」

例えば、このまま商社に入ったとしよう。
その場合、おそらく私はそのまま、その会社に居座ったまま一生を終える、そう思ったのである。固定された部署内で席順を競っていく、それも決して悪い訳ではない。しかし少なくとも、私は満足しない気がした。
私が描いていた漠然とした「夢」あるいはイメージは、商社で働く私と一致するだろうか。少なくとも、心から納得でき、確固たる信念なしには商社に入ってはいけない気がしたのである。

その日から、TOEFLの勉強を始めた。チャンスはほとんどなかった。しかし、久しぶりに集中して勉強することで達成した。

今、留学をすでに開始した現在から留学の理由を端的に表現するなら、それは「将来にタネを播く」ということにあると思う。
おそらく私は就職活動で誰もが知っている大企業を受け、入ることになるだろう。
しかし、そこでしばらくしたとき、ふっと考えることがあるだろう。自分が真剣にしたいことは何か、ということに。
その時必要なのは、過去の経験である。そこから類推することができる。
だから、私は「将来にタネを播く」のである。
そのタネはおそらく蔓を生むだろう。そして私という幹に絡み付き、進む方向を変えてくれるかもしれないのだ。

9/21/2015

I forgot to keep writing the dairy, but I'll do my best from today.
I think the biggest reason I couldn't continue is I didn't understand deeply about why it is important to keep Daily.
The first one is , I guess, that it improve my English more especially writing skill.
The next one is that I could look over the past and it remind me something important for me such as why I am here and what kind of feeling I got from the event. It'll deepen my memory and and become my flesh and blood.
And as the last, writing about the event which happen this day means verbalizing the experience.
Experience itself is pretty important, but the memory is gonna disappear. This "Verbalizing" is most big effect to keep writing.

Today, I went to the ARC, gym. Although I've never done exercise for a long period, I work out so hard caz that was the one of the purpose to come here.
Then, just join the Asian pacific event, but I realized recently I just forgot my purpose and goal and just live following the passing time.
That way of living will lose the meaning of being abroad.

Then, I went back to my home and got a phone  from Yuma-san. He talked me a lot and make me realize so many things.
First, he asked me why you want to do internship and he said to me that for you internship is meaningless.  It means that if my purpose is make my dream clear, I don't have to do internship.
That is definitely truth. In these days, maybe I was impatient since most of my friends have decided their job already.
But as he said, Did I come off the rail in terms of MY LIFE? WHY AM I HERE? HOW WAS THIS EXCHANGE DEFINED IN MY ENTIRE LIFE OR NEXT 5 AND 10 YEARS?

That is the things I need to keep asking to myself.
Osawa  san told me same things. KEEP THINKING TO MY LIFE.

2015年9月14日月曜日

休学した5年目をどう過ごすか

休学・留学するという話をした時に友達に「とうとうお前も道を外れたか」と言われた。
今までの人生でそんなことを言われたことは正直一度もない。
公立小学校→私立中高→国立大学という今までの決定は極めてスムーズに進んできたようにも思う。
確かに留学して、「道を外れた」というのは大げさであろう。むしろ昨今の流れから言えば、主流に位置するかもしれない。しかし、大きな川の流れに従っていたところから、少しだけ”自発的に”方向を変えたことは事実であるように思う。

その一年をいかに作り上げるか。

人はこの一年をモラトリアムだと言うだろう。モラトリアムとは「社会的責任を猶予されている」、つまり義務を負わない時間である。
私はこの義務を負わない時間に、将来の自分に向けての種を巻きたい。色々なものをつまみ食いしたいのである。

そのように考えると、
UC Davis:先進国アメリカライフ・英語環境ライフ・勉強ライフ・一人暮らしライフ
日本ベンチャー:ベンチャー・IT 
先進国インターン:先進国都会・インターン
途上国インターン:途上国ライフ・異言語環境・「開発」分野

4月:日本ベンチャーインターン&就活
5月:日本ベンチャーインターン&就活
6月:日本ベンチャーインターン&就活
7月:卒論&就活
8月:就活
9月:途上国インターン
10月:途上国インターン
11月:途上国インターン
12月:帰国 卒論大詰め
1月:先進国インターン
2月:先進国インターン
3月:先進国インターン

自分のやりたいことを網羅できる。おそらく日本の就活では普通のところに行ってしまうであろう、将来の自分に「あのとき楽しかったなー」と考えさせてあげることができる。チャンスを与えることができる。

就活の自己分析において、今まで自分に起こった小さい出来事、そのときの感情などを分析してごらんと言われるのは、”今までの経験が圧倒的に欠如”しているからである。
銀行の仕事があっているかどうかを、銀行の仕事が帯びる要素と自分の周りの小さな出来事における要素を持って、類推する。しかし銀行の仕事の特性を簡単に理解することはできないし、小さな出来事は小さいが故にサンプルとして機能するのか疑問がある。

いずれにせよ、経験のない就活生がそれをするのは合理的であるとしても、それは経験不足故にそうするしかないから、そうするのではないか。

9/12/2015

That was the worst day, I guess,through this exchange.
I couldn't find the place to live in and just be in confuseI forgot to eat except for breakfast and couldn't sleep.I was in so bad condition.
Firstly, I went to cellphone shop and got it.
And I realized that even though they let me wait for a long time, they didn't say sorry definitely.
I think it is not only for me, but  for American guys.
If the customer has the problem, they would be back to home when the part time end.
It might be one feature of America.
I did Skype with my family and they help me to think more calmly and relaxed.

I fall asleep at 5 pm. And end my day.


Probably, I was too hasty and overanxious.

9/11/2015

9/11

This was the departure day for exchange to UC Davis in 9 months/
I felt really uneasy to this departure even though I don't know the reason.
It might be that I have not decide my resident yet or my poor English skill or the particular phenomena we had before doing new thing and going to new environment.
Anyway I didn't want to leave my houses:(
But once we were getting near to the Haneda airport, This feeling disappeared.
I guess that Leaving Japan was not important for me, Leaving my house and family was my biggest problem.
Actually, This is perfectly first time for me to leave my family.
It looks huge things than I expected. 
I know my weakness.
I need to be more self-independent. In these aspect, I think this exchange experience is quite nice and good opportunities to be caz there are no people to rely.

///At the Haneda airport///

Gladly, some of my friend, Ando,Ozeki,Shimizu,Yurina come to see me off.
It was hard to explain this emotion but I felt thank you and happy.

///At the Hong-Kong airport///

I realized all of the material was sold by Hong-Kong dollar. 
I need to remember this fact for the future flight to Japan.
And when I went to the some book store, There were some books of "Haruki Murakami".
Previously I wondered his popularity in the world, but It showed it was real.


///In the train///

I met with George who came from Hong-Kong and graduate student.
After 3 days from now, I asked him to help to search my house.

///After arriving to my hotel///

I couldn't fall asleep by reason of jet lag.
So I did Skype with my family and doing net surfing.



9/11

As my first day, I firstly bought my bike from other guy. But after buying, I realize it is just a little strange:(
I though I should not believe all person directly. I needed to check and negotiate.
I realized that America was the country of  "Negotiation" and "Contract".
These characteristic shows that America is the country of "individual", not socialistic caz one the background of "negotiation" and "contract",
, I guess, there are lack of believability.
It might be able to accept since America is more divorced country, which means it is difficult to make social communities.



(Memo: How can I probe that America is the country of "Contract"
First: Is it real that America have a lot of contract compared to others?(The process is more complex and we will be more analytical ,like what  type of contract is the biggest)
Second: If it is real, Why does it?(Hypophysis) A→B→C
Third: Is it real in Data or Is it appeared in experiment? (Evidence)
)

After that, I went to the place that Micael demonstrated


Even though it was nice, but it seems too far caz I don't have car, just bicycle.

2015年9月10日木曜日

100 Things I Wanna Do In This Exchange(Pending)

100 Things I Wanna Do In This Exchange(Pending)

1.    Improve my English Writing skill
2.    Improve my English Speaking skill
3.    Improve my English Reading skill
4.    Improve my English Listening skill
5.    Go to Yosemite national park
6.    Read three English Books
7.    Meet some Todai OB
8.    Get internship and do it in SF
9.    Visit some Innovative company like Google
10. Watch the game of New York FC
11.  Participate in BCF
12.  Go to Harvard
13.  Go to MIT
14.  Use one hour for exercise every day
15.  Learn American culture
16.  Learn Economics and decide the theme of my graduation report
17.  Join the some kind of program holding in the Top university in U.S.
18.  Learn design
19.  Get the custom to read some famous magazine and newspaper every day
20.  Learn International politics
21.  Make 100 friends
22.  Make 10 deep friends
23.  Go to MoMA museum
24.  Decide what I’ll do in late 10 years
25.  Touch American music like Jazz
26.  Get the tecnic to make some food.
27.  Keep writing Daily
28.  Go to Cube
29.  Make plan of the rest of my university life
30.  See some professor after taking appointment
31.  Write like graduation report
32.  Learn English humor and become to use it
33.  Learn English Slang
34.  Learn Programing
35.  Meet Chelsea fans in U.S. and watch the game together
36.  Visit Stanford and d.school
37.  Enhance my ability to make presentation
38.  Go to Office hour and make connection with some professor
39.  Holding some morning English improving session
40.  Enjoy Halloween
41.  Enjoy New year
42.  Make a group to confirm each purposes and how to achieve it
43.  Not speak Japanese as much as possible
44.  Take memo about What is the things I’m really interested in from Liberal arts aspects.
45.  Visiting the place that is not in any Japanese map.
46.  Find best spot in Davis
47.  Visiting Grand Canion
48.  Sending some mail to my family and Grandpa and Granma every month
49.  Taking A in any test( Joining all my test.)

50.  Learn the rule of American footballJ

2015年9月8日火曜日

イスラームにみる宗教的権威者と民衆

イスラームに見る宗教的権威者と民衆

 近頃、「イスラーム国」の残虐な行為に関するニュースが立て続けに流れてくる。9.11世界貿易センタービルテロに始まり、アメリカとタリバンのアフガニスタンにおける絶え間なき抗争、ガザ地区問題、アラブの春、そして最近のイスラーム国(ISIS)の抗争など、“イスラーム国家”の領域においては常に大きな争いが起きている。以上の現状を見て、私はイスラームに対し自身の思考・価値体系と混じり合えない“異世界”であるという認識を長らく持っていた。しかし昨年初めてトルコに訪問し、人と街と触れ合う中で、異質性と同時に私たちと地続きで深い同質性を持った社会あるいは人間であるという印象を抱いた。また高等教育において学んだ知識より、私は初期イスラームカリフは宗教的権力を持たない存在であったと知っていた。しかし現状、多様性に富んだイスラーム諸国家を見ると、独裁政治・王権政治を背景に実質的には国の王や国家首脳が宗教的権威を握っているといってよい現状がある。イスラームにおいて宗教的権力も兼ね備えた政治指導者と民衆の理想的な関係はいかなるものであり、どのような変遷を辿って現在の形態に行き着き、現在でも理想への回帰は可能なのか。また政治制度という面において、各国が孕む問題点、欧米型の民主主義との親和性について考察を加えたい。
 まずイスラーム社会が理想とする宗教・政治制度はなにか。それを考えるにはまずイスラームの性質を考えねばならない。イスラームの重要な性質の一つとして、“神の国”と“人間の国”を隔絶しない、聖俗の区別をしない点がある。キリスト教においては塀に囲まれた“教会”の聖性が認められたが、イスラームにおいては日常生活・政治、法律全てにイスラームの教えが浸透するべきだと考えられている。そして、イスラームの教えとはつまるところ、テキストで書かれた『コーラン』『シャーリア』の解釈であり、宗教的権威者は『コーラン』の解釈権を保有する聖性を持たない一介の人間に過ぎない。以上をふまえた上で、議論を進める。イスラームが理想とする宗教・政治制度は(特に多数派のスンナ派にとっては)イスラーム法の下に統治された領域としての「ダール・アル=イスラーム」、ムハンマド死後の正統カリフ時代における「カリフ制国家」、そして全世界的なムスリムの共同体である「ウンマ」の3つの概念の一致において達成される。つまり単一のカリフによる、イスラーム法による統治、そしてムスリムとカフィールの厳密な区別が重要な要素であった。しかし、現在は3者の一致状態からはほど遠い状態である。
 前述の統一が崩れた経緯を軽くまとめることにする。ムハンマドの死後、いわゆる正統カリフ時代が訪れた。この時のカリフは宗教的な権威を持つ存在ではなく、ムスリム達の政治的指導者としての意味合いが強く、『コーラン』の解釈による思想的差異も生じていなかった。しかしイスラームが他地域に勢力を拡大するにつれて、様々な『コーラン』解釈が生まれた。そのような『コーラン』解釈の多様化はムスリムの連帯を阻むものであるとして、共同体秩序維持に責任ある宗教的指導者、“ウラマー“が誕生する。その後、ウラマーとカリフとの宗教的決定権に関する争いがおこったものの、政治的権力を握るスルタン即位によるカリフの弱体化に伴って、ウラマーが勝利し、カリフは単なる宗教的象徴に陥る。18世紀、オスマン帝国の元でスルタン=カリフ制が導入され、一人の人間に権力が集中する体制が再生した。しかしイスラーム地域が実質的にヨーロッパに植民地として征服される中で、かつてオスマン帝国の下で一定の統一を保っていたイスラーム地域の「ダール・アル=イスラーム」は分断され(“国家”としての分断)、続いてカリフ制も廃止された。そしてムスリムとカフィールが同一の“民衆”として統治され、移動の自由が奪われたことで世界レベルの共同体としての“ウンマ”も崩壊せざるを得なかった。その後、イスラーム各国はヨーロッパからの独立を果たすのだが、その際の政治制度はほとんどが実質的な独裁制度を採り、現在にいたる。つまり現在の政治制度はイスラームの教えとの整合性を考える「イスラム学」の視点から考えると、正当性あるいは整合性に欠く状態だと言わざるを得ない。
 しかし、現在様々な国家に分断されて動いている、この世界において、単一のカリフ制を設けて、再び「ダール・アル=イスラーム」「カリフ制国家」「ウンマ」の再統一を目指すことは現実的ではない。各国の独立から50年近くたった今、文化や経済体制があまりにも不揃いで発展してしまっているからである。しかし、“ウンマ”としてイスラーム各国間の移動を自由化するなど、イスラームが本来目指していた方向性を少しでも志向する態度はイスラーム学の視点から非常に重要である。
 続いて、現在のイスラーム社会の宗教的権威者=政治的指導者の統治制度から引き起こされた諸問題について考察する。特に西欧型の民主主義との関係性の枠組みの中で議論を進める。注意すべきことはイスラーム国家といえど、その形態は様々であり、一口に語ることはできない点にある。ここでは以下の3つの体制に対象を絞り、その範囲内で議論をする。まず第一にアラブの春以前のエジプト、リビアのような独裁国家である。次にサウジアラビアにおいて導入されており、親欧米的な王制国家である。この体制の多くがクーデターによって形成された。そして最後にトルコのような西欧的民主主義、政教分離を下地にする国家である。
 2011年初頭から中東・北アフリカを中心に拡大した民主化運動としてのアラブの春。エジプトにおいては長年政治を支配し続けたムバラク政権が崩壊し、ムスリム同胞団のモルシ政権が樹立した。しかし、その後は反モルシ運動が各地で勃興し、最終的には軍のクーデターが起こった。アラブの春が起こった国々を一括りにすることはできないが、エジプト同様、国民の力で獲得したはずの自由を多くの国々が維持しきれなかった。その原因はどこにあるのか。その主因はムスリムの多くが西洋の民主主義の根本に潜んでいる人文主義的思想概念を持っていないからではないか。独裁政権の下では個人の自由、機会の平等を唄う西洋思想は弊害と考えられ、教育の中に盛り込まれない。そのような基礎的な概念なしに、西洋的民主主義が突然もたらされたのであるから、彼らの中に未知の“民主主義”を導入することで、自分たち“イスラームのもつ重要なもの“が失われるのではないか、という漠然とした恐怖感が混乱を生み出している側面があると考えられる。それは王制国家においても同様である。王制国家の下、彼らに都合の悪い情報は遮断されて伝えられることが多いと思われる。そして以上2つにおける問題は、トルコのヒズメト運動の継続などによる混乱によるものと本質は同じであると考える。ギュレンを支持するヒズメト運動が政党活動に訴えないが故に、同じ土俵の上で、現実可能性を考慮した対話・議論が行えていないのではないか。それが故に投票・政権運営を難しくさせている側面があるのではないか。つまり一般的にキリスト教世界という意味での西洋がイスラームを理解しようとしていないと言われるが、イスラームがそもそも民主主義を理解しようとしていない、あるいは理解しづらい環境を制度が作り出しているのではないか、と考える。
 そもそも統治体制として、西洋的民主主義はイスラームになじまないものなのだろうか。おそらくそうではない。むしろ過去においては、思想の自由などの合理主義を携えた思想家が多く存在したからである。ただ彼らはアッバース朝以後、政治的弊害から異教徒(カーフィル)扱いされ、今日まで抑圧されてきたのである。イスラームが西洋的な民主主義、そしてそれに連なる人文主義的思想を受け入れることは過去自分たちが抹殺してきた諸哲学者たちを認めることになってしまう。それは現在の政治的指導者にとって、革命を起こす誘因する点で受け入れがたいのである。自由を求める民衆と、抑圧する指導者。両者の対立は決定的であり、指導者は人定法を施行する背教者としてジハードを起こされてもおかしくはなかった。それに対して、都合の良いはけ口を与えたのが(時間が前後するが)オサマ・ビン=ラーディンのアメリカとの戦い、防衛ジハード論だったという訳である。9.11を経て、アメリカとイスラームの対立は激化したが、それでも本質的な指導者と民衆の亀裂はうまらず、アラブの春が起こったと捉えることができるだろう。
 指導者と民衆の亀裂は現在も続いているが、今後如何に革命を起こしたとしても、民主主義の根幹を民衆が理解していなければ、政治に対する絶望は深まる一方だろう。しかし、イスラームには民主主義を受け入れる素地はあると考える。それをもう一度現代の文脈で捉えなおし、広く浸透させることで健全な民主制導入が達成されるのではないか、ということである。
 最後になるが、そもそも「イスラームに民主主義を押し付ける正当性」はどこにあるのか、西洋の人文主義的思想が示す一般道徳はどれほど一般性を持ちうるのかという議論はここでは棚上げされている。イスラームも含む多くの国が西洋的価値観から形成された国連憲章を批准しているが、かつての小国も力を持ち始めた21世紀においては、これらの一般的倫理は再度顧みられる必要があるのかもしれない。現在自分たちが生きている西洋的民主主義と日本的道徳の立場から発言せざるをえないことを理解しつつ、前述のような疑問を抱き、それに対して積極的に対話と議論を継続しなければ、本レポートのようなイスラーム国家への意見は無意味であることを理解する必要があるだろう。



<参考資料>
『イスラーム文化 その根柢にあるもの』(井筒俊彦著)
『イスラームと民主主義 近代性への怖れ』(ファーティマ・メルニーシー著)
『イスラーム世界の挫折と再生 「アラブの春」後を読み解く』(内藤正典編)
『新装版 イスラム:思想と歴史』(中村 廣治郎著)
『イスラームに何がおきているか』(小林 秦編)