2015年9月30日水曜日

「意識高い系」とは何か

「意識高い系」とは何か

近頃、「意識高い系」という言葉を良く耳にする。
そして、それは往々にして否定的なニュアンスを帯びている。
「意識高い系」とは何か、そして彼らはなぜ好意的ではない扱いを受けるのか分析してみる。     

まず「意識高い系」を規定したい。
まず「意識が高い」とは何に対し、どのような意識が高いのだろうか。
筆者のイメージをなぞらえるならば、「社会を変えること」あるいは「自分のキャリア向上」に対し、積極的な
気概を持っているということである。
しかし、一般に「社会を変えること」に本気なはずの、大統領や首相、大企業の社長のことを「意識が高い系」とは呼ばない。
彼らは「意識が高い」人間だろうが、「意識が高い系」ではない。
一方、インターンや国際交流団体に参加している学生の多くは「意識が高い系」と呼ばれる。

この違いは明らかに理想と実力、あるいは夢と達成可能性、願望と努力のギャップにある。
多少の運はあったにせよ、俗にいう「意識が高い」人間には自分の理想・夢・願望と、それに対する努力、そして実力、
夢への到達可能性のギャップがほとんどないと言える。
一方、「意識が高い系」の学生はそのギャップがあまりにも大きいため、反感を買うのであろう。

理想と実力という二軸で物事を考えると、考えられるのは4パターンの人間像である。
①理想も実力も高い人(=「意識が高い人」)
②理想は高くも、実力がない人(=「意識が高い系」)
③理想は低くも、実力がある人(=「謙虚系」?)
④理想も低く、実力もない人(=「無気力系」/「マイペース系」?)

こうして見ると、②に対して、①③④がそれぞれ異なる反応を示すことがわかる。
①から見れば、②は軽視の対象である。③からは軽蔑の対象、④からは嫉妬の対象になる。
なぜ④から見れ、嫉妬の対象になるかだが、④の人間はさらに二つに分けられる気がする。
それは自分の道を行くマイペース系と社会のレールには一応乗る、無気力系である。
無気力系は社会のレールに乗るので、大言壮語を吐いて、就活などを有利にすすめる「意識高い系」に
対し、嫉妬を覚えるのである。

以上、まだまだ深堀は出来そうだが、俗にいう「意識高い系」について思ったことをまとめてみた。



2015年9月25日金曜日

9/23/2015

Today, I overslept.
Then I move to MU to have lunch with Tim, Mao and Takuya. Through sending the message to them to invite them to this lunch, I realized the importance of moving and doing by myself.
Anything won't change unless I take some action.
After taking presentation of "making friend", we , with some Taiwanese , participated welcome event held by christian organization. That was awesome experience since I did some activities like bubble run and ballon soccer. But I realized my lack of stamina so much through it.
And at the night, we joined one event called hiding night, which is kind of Kakurenbo.
Even though it was nice, I thought there are more potential to make it more enjoyable. I mean it will become more competitive. For example, like a stamp rally, find all of the hiding person and someone who go back first is winner.

2015年9月23日水曜日

自分はどんな人に憧れるのか

自分はどんな人に憧れるのだろうか。
ミスチルの桜井さん、尾崎豊、チェゲバラ、スティーブ・ジョブズ、ゆーまさん、父もそうかもしれない。

共通点はおそらく「自分がやりたいことにとにかくまっすぐ」なことだ。
つまり彼らは未来を見据えながらも、今を生きている。外から見ている僕には少なくとも打算的に思えない。
そして「やりたいこと」をやっているからか、とても楽しそうである。

この「やりたいこと」を、「楽しく」やるという、とてもシンプルなことにここ長らく悩んでいる気がする。
そして「かっこいい」ことも一つの要件であるなーと思う。

そんな自分の「やりたいこと」はなんだろうか。
やりたいことではなく、
「やっていて楽しいと心から思ったこと」「やっていて感動したこと」
「心が大幅に動いたとき」
・ブロック作り
・歴史の授業、伝記を読む
・恋愛的なドキドキ感
・授業で問題があたり、ほめられたとき
・スキーの大会のとき
・チェルシーがCLで優勝したとき
・M1をみているとき(お笑い全般)
・自分の書いた文章を読んでくれ、反応があったとき(文明塾?)
・大学受験に受かったとき
・中学受験に落ちたとき
・TISPの最終日の感動
・ドラマ・アニメ・漫画などの最後の感動(おそらく「別れ」がテーマ)
・被災地に行き、崩壊の様を見たとき

本を読むのも、ドラマやアニメを見るのも、海外旅行に行くのも自分がそこにあるような劇的な体験をしたいという裏返しなのかもしれない。

なんか、なんでもそういえてしまうのだけれど、「創る」「作る」ってことが一つキーワードになっている気がする。

・それは一人でやった方がいいのか、複数の人と作り上げた方が楽しいのか。
分からないが、やっぱり誰かと想いを共有したかったりするのかなー、って最近思う。

後、古いー新しい軸でみたら、やっぱ新しいことに心惹かれるのかなーなんておもったりする。

最近良く思うんだけど、俗にいう「開発」分野に興味ある理由って色々思いつくけど、結局のところ論理的に導きだされたものよりも、「浮いている人」「人に話しかけられない人」を放っておけない性格にあるんじゃないかな、って思う。自分も必ずしもコミュニケーション能力が高い訳ではないんだけれど、別に崇高な思いがある訳ではなくて、なんか放っておけない。無理矢理巻き込もうとしてしまう、みたいなところがあるんだろうな。
だから結構「オタク」みたいな友達も出来やすいんだと思う。それが自分の中で刺激になっているから、非常に良いのだけれど。



留学の軸/目的

留学の軸

ⅰ)将来的な夢を明確にする
将来的に海外のデザイン・テック系カンパニー(特に途上国開発領域)で働きたいという夢を何となく導きだした。
その夢は大きい一方で、
・どのような人材が求められているのか
・どのような技術・製品的潮流があるのか
・どのようなキャリアパスがあるのか
・どのような人が友であり、ライバルなのか
などを明確にする必要があった。

ⅱ)将来の夢に必要なことの準備をする

また海外で働いてみたいといえど、現状①英語力②文化を超えたところの共創力③ロジカルシンキング
④発想力⑤やりとげる体力⑥セルフコントロール能力(自己管理能力) などが圧倒的に欠けているように思えた。

①英語力
帰った段階でTOEFL105点くらいはとれる英語力に仕上げたい
ⅰ)英語での論文・レポート執筆経験
ⅱ)英語でのディスカッション経験

②共創力
共に何かを作り上げる経験ができると、その中での文化的なコンフリクト、
考えの違いを乗り越える力が手に入れられると思う。

③ロジカルシンキング
これは授業や論文を書くなどに取り組んでいる中で、磨かれる側面があると思う。

④発想力
柔軟にものごとを考えてみる。ポジティブにものを見てみる力である。
デザインの授業で深堀されるか?

⑤やりとげる体力
隔日でジムに行く。

⑥自己管理能力
毎日、決められた時間に起き、決められた睡眠時間で、決められた生活を送る。

ⅲ)アカデミックに身を埋めてみる
アカデミックに身を埋めるという経験は必ずしも上の二つとつながらないかもしれないが、
それでもなお、この留学の目的としたい。
なぜならアカデミックな観点は超長期的な観点に立ったとき、問題分析能力を与えてくれるばかりでなく、
人間社会を理解する、本質を理解するツールになりえるからである。

そして私の目的には教養というよりも、リベラルアーツ、すなわち自分を「自由」に導いてくれるツールとしての
アカデミックを志している。

社会科学としての
・経済学
・政治学
・社会学
・統計学

人文科学としての
・歴史学
・哲学
・美学

それらを組み合わせ、問題を解決していく横断的な思考をこそ手に入れたい。

しかし現実的に考えたとき、全てを等しく掘り下げるのは極めて難しい。
故に経済学的なアプローチを中心としたT型の人間像に迫っていきたい。

そして今回のアカデミックの一つの目標として、
①経済学の深堀+②事例研究の仕方を学ぶ

というのがあると思う。
経済学において、事例研究が行われることは少ない。(特に東大で行っていた計量経済学的なアプローチにおいては
そうである。)
しかし、実際問題として、何か現象があったときに、その細かな流れを探るためには事例研究は欠かせない。
よって、経済学以外の文献を読み解く力を身につけることが一つの目標になる。



留学をどう位置づけるか(自省)

9/21、ゆーまさんと電話で話して、とても痛いところを突かれてしまった。
やりとりとしては
「なんでインターンしたいの?」
「◯◯だからです」
「△にとってはインターンは無価値なんだなーと思う」
「どういうことですか」
「ぶっちゃけ、就活とか含め外の価値観で考えていて、自分がどうしたいとかっていう
中の価値観が固まりきれてないよね」
「確かにそうでした。周りが就活を終えていく中で自分の焦りがあったかもです」
「留学の軸が正しく定まっていないように思う。△の目標を達成するだけなら、
インターンという枠にする必要があるんだろうか」
「たしかし」

的なやりとりをした。

留学の”軸”は未だ定まっていないように思う。
もしくは色々とやりたいことが多すぎて、まとまりきれていない、プライオリティ付けできていないのかも
しれない。

やるべきことは
「今回の留学は今後一生とは言わないまでも一定期間の中でどのように位置づけられるのか」
「今回の留学の軸はなにか(ここでしかできないことは?」
「軸をどのように達成できるか」

という点を明確にすることである。

正直、確かに「道を外れた」といえど、いずれにせよ「王道」というか正規ルートにいることは間違いない。

2015年9月22日火曜日

本留学に至った理由

アメリカに着いて、すでに一週間弱が過ぎている。ここで改めて、4年生という中途半端なタイミングで留学することを決意したのか、およびこの留学における目標を記しておきたい。

【留学に至った経緯・理由】
曖昧な記憶ではあるが、今までもなんどか留学に行こうと思ったことがある。
しかしいずれの場合も機会費用・費用対効果などを考えて、踏みとどまったままであった。つまり、もし海外に出たいのであれば院で出た方が専門性は身に付く、あるいは仕事をし、収入を得る期間を一年削って、お金を使うという行為があまり合理的に見えなかった。

就職活動では商社に行こうと決め、五大商社の中で一番最初に開催していたインターンに参加した。

インターン、一日目、こう思ったのを覚えている。
「本当にこのままでいいのか?」

例えば、このまま商社に入ったとしよう。
その場合、おそらく私はそのまま、その会社に居座ったまま一生を終える、そう思ったのである。固定された部署内で席順を競っていく、それも決して悪い訳ではない。しかし少なくとも、私は満足しない気がした。
私が描いていた漠然とした「夢」あるいはイメージは、商社で働く私と一致するだろうか。少なくとも、心から納得でき、確固たる信念なしには商社に入ってはいけない気がしたのである。

その日から、TOEFLの勉強を始めた。チャンスはほとんどなかった。しかし、久しぶりに集中して勉強することで達成した。

今、留学をすでに開始した現在から留学の理由を端的に表現するなら、それは「将来にタネを播く」ということにあると思う。
おそらく私は就職活動で誰もが知っている大企業を受け、入ることになるだろう。
しかし、そこでしばらくしたとき、ふっと考えることがあるだろう。自分が真剣にしたいことは何か、ということに。
その時必要なのは、過去の経験である。そこから類推することができる。
だから、私は「将来にタネを播く」のである。
そのタネはおそらく蔓を生むだろう。そして私という幹に絡み付き、進む方向を変えてくれるかもしれないのだ。

9/21/2015

I forgot to keep writing the dairy, but I'll do my best from today.
I think the biggest reason I couldn't continue is I didn't understand deeply about why it is important to keep Daily.
The first one is , I guess, that it improve my English more especially writing skill.
The next one is that I could look over the past and it remind me something important for me such as why I am here and what kind of feeling I got from the event. It'll deepen my memory and and become my flesh and blood.
And as the last, writing about the event which happen this day means verbalizing the experience.
Experience itself is pretty important, but the memory is gonna disappear. This "Verbalizing" is most big effect to keep writing.

Today, I went to the ARC, gym. Although I've never done exercise for a long period, I work out so hard caz that was the one of the purpose to come here.
Then, just join the Asian pacific event, but I realized recently I just forgot my purpose and goal and just live following the passing time.
That way of living will lose the meaning of being abroad.

Then, I went back to my home and got a phone  from Yuma-san. He talked me a lot and make me realize so many things.
First, he asked me why you want to do internship and he said to me that for you internship is meaningless.  It means that if my purpose is make my dream clear, I don't have to do internship.
That is definitely truth. In these days, maybe I was impatient since most of my friends have decided their job already.
But as he said, Did I come off the rail in terms of MY LIFE? WHY AM I HERE? HOW WAS THIS EXCHANGE DEFINED IN MY ENTIRE LIFE OR NEXT 5 AND 10 YEARS?

That is the things I need to keep asking to myself.
Osawa  san told me same things. KEEP THINKING TO MY LIFE.

2015年9月14日月曜日

休学した5年目をどう過ごすか

休学・留学するという話をした時に友達に「とうとうお前も道を外れたか」と言われた。
今までの人生でそんなことを言われたことは正直一度もない。
公立小学校→私立中高→国立大学という今までの決定は極めてスムーズに進んできたようにも思う。
確かに留学して、「道を外れた」というのは大げさであろう。むしろ昨今の流れから言えば、主流に位置するかもしれない。しかし、大きな川の流れに従っていたところから、少しだけ”自発的に”方向を変えたことは事実であるように思う。

その一年をいかに作り上げるか。

人はこの一年をモラトリアムだと言うだろう。モラトリアムとは「社会的責任を猶予されている」、つまり義務を負わない時間である。
私はこの義務を負わない時間に、将来の自分に向けての種を巻きたい。色々なものをつまみ食いしたいのである。

そのように考えると、
UC Davis:先進国アメリカライフ・英語環境ライフ・勉強ライフ・一人暮らしライフ
日本ベンチャー:ベンチャー・IT 
先進国インターン:先進国都会・インターン
途上国インターン:途上国ライフ・異言語環境・「開発」分野

4月:日本ベンチャーインターン&就活
5月:日本ベンチャーインターン&就活
6月:日本ベンチャーインターン&就活
7月:卒論&就活
8月:就活
9月:途上国インターン
10月:途上国インターン
11月:途上国インターン
12月:帰国 卒論大詰め
1月:先進国インターン
2月:先進国インターン
3月:先進国インターン

自分のやりたいことを網羅できる。おそらく日本の就活では普通のところに行ってしまうであろう、将来の自分に「あのとき楽しかったなー」と考えさせてあげることができる。チャンスを与えることができる。

就活の自己分析において、今まで自分に起こった小さい出来事、そのときの感情などを分析してごらんと言われるのは、”今までの経験が圧倒的に欠如”しているからである。
銀行の仕事があっているかどうかを、銀行の仕事が帯びる要素と自分の周りの小さな出来事における要素を持って、類推する。しかし銀行の仕事の特性を簡単に理解することはできないし、小さな出来事は小さいが故にサンプルとして機能するのか疑問がある。

いずれにせよ、経験のない就活生がそれをするのは合理的であるとしても、それは経験不足故にそうするしかないから、そうするのではないか。

9/12/2015

That was the worst day, I guess,through this exchange.
I couldn't find the place to live in and just be in confuseI forgot to eat except for breakfast and couldn't sleep.I was in so bad condition.
Firstly, I went to cellphone shop and got it.
And I realized that even though they let me wait for a long time, they didn't say sorry definitely.
I think it is not only for me, but  for American guys.
If the customer has the problem, they would be back to home when the part time end.
It might be one feature of America.
I did Skype with my family and they help me to think more calmly and relaxed.

I fall asleep at 5 pm. And end my day.


Probably, I was too hasty and overanxious.

9/11/2015

9/11

This was the departure day for exchange to UC Davis in 9 months/
I felt really uneasy to this departure even though I don't know the reason.
It might be that I have not decide my resident yet or my poor English skill or the particular phenomena we had before doing new thing and going to new environment.
Anyway I didn't want to leave my houses:(
But once we were getting near to the Haneda airport, This feeling disappeared.
I guess that Leaving Japan was not important for me, Leaving my house and family was my biggest problem.
Actually, This is perfectly first time for me to leave my family.
It looks huge things than I expected. 
I know my weakness.
I need to be more self-independent. In these aspect, I think this exchange experience is quite nice and good opportunities to be caz there are no people to rely.

///At the Haneda airport///

Gladly, some of my friend, Ando,Ozeki,Shimizu,Yurina come to see me off.
It was hard to explain this emotion but I felt thank you and happy.

///At the Hong-Kong airport///

I realized all of the material was sold by Hong-Kong dollar. 
I need to remember this fact for the future flight to Japan.
And when I went to the some book store, There were some books of "Haruki Murakami".
Previously I wondered his popularity in the world, but It showed it was real.


///In the train///

I met with George who came from Hong-Kong and graduate student.
After 3 days from now, I asked him to help to search my house.

///After arriving to my hotel///

I couldn't fall asleep by reason of jet lag.
So I did Skype with my family and doing net surfing.



9/11

As my first day, I firstly bought my bike from other guy. But after buying, I realize it is just a little strange:(
I though I should not believe all person directly. I needed to check and negotiate.
I realized that America was the country of  "Negotiation" and "Contract".
These characteristic shows that America is the country of "individual", not socialistic caz one the background of "negotiation" and "contract",
, I guess, there are lack of believability.
It might be able to accept since America is more divorced country, which means it is difficult to make social communities.



(Memo: How can I probe that America is the country of "Contract"
First: Is it real that America have a lot of contract compared to others?(The process is more complex and we will be more analytical ,like what  type of contract is the biggest)
Second: If it is real, Why does it?(Hypophysis) A→B→C
Third: Is it real in Data or Is it appeared in experiment? (Evidence)
)

After that, I went to the place that Micael demonstrated


Even though it was nice, but it seems too far caz I don't have car, just bicycle.

2015年9月10日木曜日

100 Things I Wanna Do In This Exchange(Pending)

100 Things I Wanna Do In This Exchange(Pending)

1.    Improve my English Writing skill
2.    Improve my English Speaking skill
3.    Improve my English Reading skill
4.    Improve my English Listening skill
5.    Go to Yosemite national park
6.    Read three English Books
7.    Meet some Todai OB
8.    Get internship and do it in SF
9.    Visit some Innovative company like Google
10. Watch the game of New York FC
11.  Participate in BCF
12.  Go to Harvard
13.  Go to MIT
14.  Use one hour for exercise every day
15.  Learn American culture
16.  Learn Economics and decide the theme of my graduation report
17.  Join the some kind of program holding in the Top university in U.S.
18.  Learn design
19.  Get the custom to read some famous magazine and newspaper every day
20.  Learn International politics
21.  Make 100 friends
22.  Make 10 deep friends
23.  Go to MoMA museum
24.  Decide what I’ll do in late 10 years
25.  Touch American music like Jazz
26.  Get the tecnic to make some food.
27.  Keep writing Daily
28.  Go to Cube
29.  Make plan of the rest of my university life
30.  See some professor after taking appointment
31.  Write like graduation report
32.  Learn English humor and become to use it
33.  Learn English Slang
34.  Learn Programing
35.  Meet Chelsea fans in U.S. and watch the game together
36.  Visit Stanford and d.school
37.  Enhance my ability to make presentation
38.  Go to Office hour and make connection with some professor
39.  Holding some morning English improving session
40.  Enjoy Halloween
41.  Enjoy New year
42.  Make a group to confirm each purposes and how to achieve it
43.  Not speak Japanese as much as possible
44.  Take memo about What is the things I’m really interested in from Liberal arts aspects.
45.  Visiting the place that is not in any Japanese map.
46.  Find best spot in Davis
47.  Visiting Grand Canion
48.  Sending some mail to my family and Grandpa and Granma every month
49.  Taking A in any test( Joining all my test.)

50.  Learn the rule of American footballJ

2015年9月8日火曜日

イスラームにみる宗教的権威者と民衆

イスラームに見る宗教的権威者と民衆

 近頃、「イスラーム国」の残虐な行為に関するニュースが立て続けに流れてくる。9.11世界貿易センタービルテロに始まり、アメリカとタリバンのアフガニスタンにおける絶え間なき抗争、ガザ地区問題、アラブの春、そして最近のイスラーム国(ISIS)の抗争など、“イスラーム国家”の領域においては常に大きな争いが起きている。以上の現状を見て、私はイスラームに対し自身の思考・価値体系と混じり合えない“異世界”であるという認識を長らく持っていた。しかし昨年初めてトルコに訪問し、人と街と触れ合う中で、異質性と同時に私たちと地続きで深い同質性を持った社会あるいは人間であるという印象を抱いた。また高等教育において学んだ知識より、私は初期イスラームカリフは宗教的権力を持たない存在であったと知っていた。しかし現状、多様性に富んだイスラーム諸国家を見ると、独裁政治・王権政治を背景に実質的には国の王や国家首脳が宗教的権威を握っているといってよい現状がある。イスラームにおいて宗教的権力も兼ね備えた政治指導者と民衆の理想的な関係はいかなるものであり、どのような変遷を辿って現在の形態に行き着き、現在でも理想への回帰は可能なのか。また政治制度という面において、各国が孕む問題点、欧米型の民主主義との親和性について考察を加えたい。
 まずイスラーム社会が理想とする宗教・政治制度はなにか。それを考えるにはまずイスラームの性質を考えねばならない。イスラームの重要な性質の一つとして、“神の国”と“人間の国”を隔絶しない、聖俗の区別をしない点がある。キリスト教においては塀に囲まれた“教会”の聖性が認められたが、イスラームにおいては日常生活・政治、法律全てにイスラームの教えが浸透するべきだと考えられている。そして、イスラームの教えとはつまるところ、テキストで書かれた『コーラン』『シャーリア』の解釈であり、宗教的権威者は『コーラン』の解釈権を保有する聖性を持たない一介の人間に過ぎない。以上をふまえた上で、議論を進める。イスラームが理想とする宗教・政治制度は(特に多数派のスンナ派にとっては)イスラーム法の下に統治された領域としての「ダール・アル=イスラーム」、ムハンマド死後の正統カリフ時代における「カリフ制国家」、そして全世界的なムスリムの共同体である「ウンマ」の3つの概念の一致において達成される。つまり単一のカリフによる、イスラーム法による統治、そしてムスリムとカフィールの厳密な区別が重要な要素であった。しかし、現在は3者の一致状態からはほど遠い状態である。
 前述の統一が崩れた経緯を軽くまとめることにする。ムハンマドの死後、いわゆる正統カリフ時代が訪れた。この時のカリフは宗教的な権威を持つ存在ではなく、ムスリム達の政治的指導者としての意味合いが強く、『コーラン』の解釈による思想的差異も生じていなかった。しかしイスラームが他地域に勢力を拡大するにつれて、様々な『コーラン』解釈が生まれた。そのような『コーラン』解釈の多様化はムスリムの連帯を阻むものであるとして、共同体秩序維持に責任ある宗教的指導者、“ウラマー“が誕生する。その後、ウラマーとカリフとの宗教的決定権に関する争いがおこったものの、政治的権力を握るスルタン即位によるカリフの弱体化に伴って、ウラマーが勝利し、カリフは単なる宗教的象徴に陥る。18世紀、オスマン帝国の元でスルタン=カリフ制が導入され、一人の人間に権力が集中する体制が再生した。しかしイスラーム地域が実質的にヨーロッパに植民地として征服される中で、かつてオスマン帝国の下で一定の統一を保っていたイスラーム地域の「ダール・アル=イスラーム」は分断され(“国家”としての分断)、続いてカリフ制も廃止された。そしてムスリムとカフィールが同一の“民衆”として統治され、移動の自由が奪われたことで世界レベルの共同体としての“ウンマ”も崩壊せざるを得なかった。その後、イスラーム各国はヨーロッパからの独立を果たすのだが、その際の政治制度はほとんどが実質的な独裁制度を採り、現在にいたる。つまり現在の政治制度はイスラームの教えとの整合性を考える「イスラム学」の視点から考えると、正当性あるいは整合性に欠く状態だと言わざるを得ない。
 しかし、現在様々な国家に分断されて動いている、この世界において、単一のカリフ制を設けて、再び「ダール・アル=イスラーム」「カリフ制国家」「ウンマ」の再統一を目指すことは現実的ではない。各国の独立から50年近くたった今、文化や経済体制があまりにも不揃いで発展してしまっているからである。しかし、“ウンマ”としてイスラーム各国間の移動を自由化するなど、イスラームが本来目指していた方向性を少しでも志向する態度はイスラーム学の視点から非常に重要である。
 続いて、現在のイスラーム社会の宗教的権威者=政治的指導者の統治制度から引き起こされた諸問題について考察する。特に西欧型の民主主義との関係性の枠組みの中で議論を進める。注意すべきことはイスラーム国家といえど、その形態は様々であり、一口に語ることはできない点にある。ここでは以下の3つの体制に対象を絞り、その範囲内で議論をする。まず第一にアラブの春以前のエジプト、リビアのような独裁国家である。次にサウジアラビアにおいて導入されており、親欧米的な王制国家である。この体制の多くがクーデターによって形成された。そして最後にトルコのような西欧的民主主義、政教分離を下地にする国家である。
 2011年初頭から中東・北アフリカを中心に拡大した民主化運動としてのアラブの春。エジプトにおいては長年政治を支配し続けたムバラク政権が崩壊し、ムスリム同胞団のモルシ政権が樹立した。しかし、その後は反モルシ運動が各地で勃興し、最終的には軍のクーデターが起こった。アラブの春が起こった国々を一括りにすることはできないが、エジプト同様、国民の力で獲得したはずの自由を多くの国々が維持しきれなかった。その原因はどこにあるのか。その主因はムスリムの多くが西洋の民主主義の根本に潜んでいる人文主義的思想概念を持っていないからではないか。独裁政権の下では個人の自由、機会の平等を唄う西洋思想は弊害と考えられ、教育の中に盛り込まれない。そのような基礎的な概念なしに、西洋的民主主義が突然もたらされたのであるから、彼らの中に未知の“民主主義”を導入することで、自分たち“イスラームのもつ重要なもの“が失われるのではないか、という漠然とした恐怖感が混乱を生み出している側面があると考えられる。それは王制国家においても同様である。王制国家の下、彼らに都合の悪い情報は遮断されて伝えられることが多いと思われる。そして以上2つにおける問題は、トルコのヒズメト運動の継続などによる混乱によるものと本質は同じであると考える。ギュレンを支持するヒズメト運動が政党活動に訴えないが故に、同じ土俵の上で、現実可能性を考慮した対話・議論が行えていないのではないか。それが故に投票・政権運営を難しくさせている側面があるのではないか。つまり一般的にキリスト教世界という意味での西洋がイスラームを理解しようとしていないと言われるが、イスラームがそもそも民主主義を理解しようとしていない、あるいは理解しづらい環境を制度が作り出しているのではないか、と考える。
 そもそも統治体制として、西洋的民主主義はイスラームになじまないものなのだろうか。おそらくそうではない。むしろ過去においては、思想の自由などの合理主義を携えた思想家が多く存在したからである。ただ彼らはアッバース朝以後、政治的弊害から異教徒(カーフィル)扱いされ、今日まで抑圧されてきたのである。イスラームが西洋的な民主主義、そしてそれに連なる人文主義的思想を受け入れることは過去自分たちが抹殺してきた諸哲学者たちを認めることになってしまう。それは現在の政治的指導者にとって、革命を起こす誘因する点で受け入れがたいのである。自由を求める民衆と、抑圧する指導者。両者の対立は決定的であり、指導者は人定法を施行する背教者としてジハードを起こされてもおかしくはなかった。それに対して、都合の良いはけ口を与えたのが(時間が前後するが)オサマ・ビン=ラーディンのアメリカとの戦い、防衛ジハード論だったという訳である。9.11を経て、アメリカとイスラームの対立は激化したが、それでも本質的な指導者と民衆の亀裂はうまらず、アラブの春が起こったと捉えることができるだろう。
 指導者と民衆の亀裂は現在も続いているが、今後如何に革命を起こしたとしても、民主主義の根幹を民衆が理解していなければ、政治に対する絶望は深まる一方だろう。しかし、イスラームには民主主義を受け入れる素地はあると考える。それをもう一度現代の文脈で捉えなおし、広く浸透させることで健全な民主制導入が達成されるのではないか、ということである。
 最後になるが、そもそも「イスラームに民主主義を押し付ける正当性」はどこにあるのか、西洋の人文主義的思想が示す一般道徳はどれほど一般性を持ちうるのかという議論はここでは棚上げされている。イスラームも含む多くの国が西洋的価値観から形成された国連憲章を批准しているが、かつての小国も力を持ち始めた21世紀においては、これらの一般的倫理は再度顧みられる必要があるのかもしれない。現在自分たちが生きている西洋的民主主義と日本的道徳の立場から発言せざるをえないことを理解しつつ、前述のような疑問を抱き、それに対して積極的に対話と議論を継続しなければ、本レポートのようなイスラーム国家への意見は無意味であることを理解する必要があるだろう。



<参考資料>
『イスラーム文化 その根柢にあるもの』(井筒俊彦著)
『イスラームと民主主義 近代性への怖れ』(ファーティマ・メルニーシー著)
『イスラーム世界の挫折と再生 「アラブの春」後を読み解く』(内藤正典編)
『新装版 イスラム:思想と歴史』(中村 廣治郎著)
『イスラームに何がおきているか』(小林 秦編)

『ハード・アカデミズムの時代』(高山博)

『ハード・アカデミズムの時代』(高山博)

日本の大学教育の問題点および、これからの大学における学問のあり方がテーマ。
一般に大学には創造性と独創性をもって、人間の共有知領域を広げる「ハード・アカデミズム」と
既存の学問をわかりやすく伝える「ソフト・アカデミズム」の二つの機能を持つ。
そして現在の日本の教育機関は欧米の学者の業績を理解・翻訳する『ソフト・アカデミズム』の機能があまりにも強すぎるという。その後、これらの原因を適切な競争と役割分担なき大学制度に求めている、といったところが要旨である。

この手の本を読んでしまうと、自分も「ハード・アカデミズム」を志したいという思いは
強まる。現在のように消費者として、学問に取り組む限り、自分がしていることは教育という投資に過ぎず、貢献はなにもない。

すずかんゼミ まとめ(大学2年時)

・仮説に対して、Social Marketingを行う必要性。

・プロジェクトはその段階に応じた戦略を打たねばならない。
プロジェクトとは本来的に人を動かす必要性があるが、その方策には
①強制(Government Solution)と②インセンティブの付与(Market Solution)
と③自発(Social Solution)の3つがある。
例えば、あるプロジェクトにおいて、何か制度を自分たちのコミュニティに
導入することを考えたとする。
その制度を導入している人の割合が0~50%くらいのときは、人々の自発あるいは積極性に
任せなくてはならない。しかし、それが50~90%くらいの間にはインセンティブを付与すること
が必要となる。そして最後90%を100%にすることは一定の強制によってなされることが多い。
上記のようにプロジェクトに対する戦略を達成度に応じて考えることは非常に有益である。
(例:0~1, 1~5, 5~25, 25~50, 50~90, 90~100)

・現在、多くの制度がOne wayになっており、人々のニーズなどをしっかりと捉えられている
セクターは少ない。
そもそも、公的なセクターを考えた時、彼らはその一定の強制力によって、多額のお金を持ってはいるが、デメリットとして「不平等」を導入できないという側面がある。
実際、特に日本はその特色が強い。日本においてはその多くの政策において、
「平等」が強調され、最も「弱い」人達あるいは、その意欲において「最底辺」にいる人達
に合わせた制度が導入されており、結果としてマジョリティの効率性や生産性を限定して
しまっている側面が多大にある。(教育などがいい例ではないか)
このことを考慮すると、そもそも個人に合わせた細かな制度を政府に求め、文句をいうこと自体がナンセンスに思える。
政府が苦手としているところだからこそ、自分たちがそれを担おうといった「主体性」が重要なのではないか。文句をいっても何もはじまらないのだ。
自分たちはそれにたいして何が出来るのかを、批判と同時に考えていく姿勢が重要である。
そういった意味で、日本ではまだ活発とはいえない「NPO」や「NGO」の意味は非常に大きい。
またそういった組織だったものではなくとも、互助のための「コミュニティ」の必要性は
多いにある。
では、どのようなコミュニティがもっとも理想的であるのか。
ここからは完全に私見になるのだが、いわゆる「日本古来」のコミュニティを作り上げること
にはここで反対しておく。
私のいう「日本古来」のコミュニティとは、村の中で相互に助け合い、支え合っていくような地域でつながったコミュニティである。
そもそも、これらのコミュニティは自分たちを支えてくれるような経済基盤や政治基盤がなかった時代にできた「消極的なコミュニティ」だったように思える。自分たちの働きてである父親が急になくなってしまっても、政府は面倒をみてくれない。そのような事態を想定して、消極的に構成されたコミュニティである。
しかし、これからのコミュニティはもうすこし積極的な、自発的なコミュニティを考えていくべきだと考える。幸いにして、インターネットの普及により、我々はコミュニティ作成において、地理に縛られることはなくなった。
今後、このようなコミュニティをどうつくっていくか、そもそも「積極的なコミュニティ」とはどのようなものであるのかを考えていきたいと思う。


また、個別的な話にはなるが、「東京大学」に対するすずかん先生の話には共感を覚えた。
東京大学は日本でトップユニバーシティであり、将来のリーダーを創造する場所である。
故に、東大が圧倒的に学生に優しくない大学であることを変える必要はないとのことである。
つまり未来のリーダーたるもの、「優良な環境の中でしか輝けない」ということになってはならない。
環境は自分で変えていき、切り開いていくものだ。それは別に一人で、ということではない。仲間をいかに組閣していくか、ということもその中で学ぶのである。
東京大学においてはやる気のあるものが最大限の努力が出来るような環境を作り出すべきではあるが、やる気のないものを救済するような施策については打つ必要はない、ということだ。

それは東京大学が国立であることにもよるのである。