最近、百聞は一見にしかずというコトバを強く実感する。
今、住んでいる町、Davisは僕のカリフォルニアのイメージと少し違っている。
僕のイメージでは広大な庭付きプールがちらばってあり、ヤシの木が広い道路の側面に生い茂っている感じだったけど、Davisはわりかし狭いエリアに家が集中し、ヤシの木もそれほど見かけない。そして、そこでの生活は危ないイメージのある「アメリカ」とはかけ離れたものだ。
こんな感じで、人のイメージや、教科書の知識は外れることが良くある。
これはキャリアとか、仕事とか、正解がないことにつながっている。
というのも、僕らの時間は有限である。
もし僕らの時間が無限なら、僕らはきっと全てを「見る」ことができる。
しかし、僕らは分からない情報を聞き、解釈し、謝っている可能性がある情報の中で意志決定をせざるをえない。
だから、結局のところ、自分の人生は自分で選ばなければないないという、陳腐な結論に陥る。しかし、それはきっとほんとで、各自のストーリーに従って生きるべきなのかもしれない。
2015年10月29日木曜日
勉強法について(中間まとめ)
反省すべきことがたくさんあるので、まとめておきます。
全て基本的なことばかりなのですが、受験期の時点で直前になってしかやらないタイプだったにも関わらず、更に大学で「勉強の仕方」を忘れているので、まとめねばならないというアホさ加減。極めて普通のことだけど、きっととても重要なこと。
1.予習・復習をしっかりやる。(とくに復習。その日の授業はその日に消化する)
2.課題は前もって、やっておく。(これができないと1ができなくなる。)
3.何を目的として履修しているかを意識する。(自分が深めたいことを自分の深めたいレベルまで深めること)
4.他の人の視点を求める。
5.分からないことがあったら、聞く(オフィスアワー!当然!)
継続は力なり、もとい「継続のみが力なり!!!」
全て基本的なことばかりなのですが、受験期の時点で直前になってしかやらないタイプだったにも関わらず、更に大学で「勉強の仕方」を忘れているので、まとめねばならないというアホさ加減。極めて普通のことだけど、きっととても重要なこと。
1.予習・復習をしっかりやる。(とくに復習。その日の授業はその日に消化する)
2.課題は前もって、やっておく。(これができないと1ができなくなる。)
3.何を目的として履修しているかを意識する。(自分が深めたいことを自分の深めたいレベルまで深めること)
4.他の人の視点を求める。
5.分からないことがあったら、聞く(オフィスアワー!当然!)
継続は力なり、もとい「継続のみが力なり!!!」
2015年10月28日水曜日
10/27
Today, I couldn't concentrate on the study although I have a test next day.
It's because I thought again about why did I come here.
If the only reason is studying, I didn't have to come here.
It's better that I just stay at my home and keep studying.
I came here to learn something that I'll not get If I were in Japan and make fun.
I need to love the person I met and will meet.
I spent noon to make research about my GPA and also GPA that is requested for Top MBA school.
Talking the conclusion first, the GPA that asked for is around 3.6.
And also, I can't change my GPA from 3.2 if I do my best after go back or get the good grade here in Davis.
So,I thought it's better to focus on improving my skill and mind , not engage in GPA.
Although I think average GPA is 3.6, I didn't say it's impossible to enter.
If anything, there are more large possibility compared to other graduate program.
Anyway, I don't have to care about Grade.(I'll do best, but don't have to stick to it.
By the way, I realize that the political activity is very active here in Davis.
I found some post of club that established to help their candidate and poster for non-arm activity. It seem curious for me since we can't see these kind of activity in Japan.
We, Japanese, regard politics as something mysterious and untouchable.
However, we are the player and sovereign of our state.
I thought we needed to commit more in frank way
It's because I thought again about why did I come here.
If the only reason is studying, I didn't have to come here.
It's better that I just stay at my home and keep studying.
I came here to learn something that I'll not get If I were in Japan and make fun.
I need to love the person I met and will meet.
I spent noon to make research about my GPA and also GPA that is requested for Top MBA school.
Talking the conclusion first, the GPA that asked for is around 3.6.
And also, I can't change my GPA from 3.2 if I do my best after go back or get the good grade here in Davis.
So,I thought it's better to focus on improving my skill and mind , not engage in GPA.
Although I think average GPA is 3.6, I didn't say it's impossible to enter.
If anything, there are more large possibility compared to other graduate program.
Anyway, I don't have to care about Grade.(I'll do best, but don't have to stick to it.
By the way, I realize that the political activity is very active here in Davis.
I found some post of club that established to help their candidate and poster for non-arm activity. It seem curious for me since we can't see these kind of activity in Japan.
We, Japanese, regard politics as something mysterious and untouchable.
However, we are the player and sovereign of our state.
I thought we needed to commit more in frank way
一ヶ月(はりつけ忘れ分)
いつの間にか、留学から一ヶ月が経ってしまったなという印象を持っている。
一ヶ月ということはすでに約7分の1が終わってしまったということ。
時というものは、僕らという主体を置きざりにして、先に進んでしまうことが良くある。
そんな感じだ。
自分で達成したいこと、レベルが確かにそこにあって。でもそこには届かなくって。
焦って、時間だけが過ぎていく。
最近感じるのは、僕は結局器用ではないのだろうな、ということ。
同時に二兎追うことは今の僕には難しい。
しかし、考えてみれば、まだガッツリと授業を受け始めてから2週間しか立っていない。
1週間目は家探し。2週間目は環境慣れ。3週間目は授業慣れ。4週間目の今週初めて授業に集中して望めた。
このように考えると、まだまだ焦る必要はないなと思える。
最近、自分の時間が出来てきて、果たして自分がどういう生き方をしたいのかを考えることが多くなった。
それは子持ちで学生やっているヒロさんの話を聞いたのも大きいかもしれない。
またGacktがやっているラジオを聞いたからかもしれない。
そして、少なくとも、僕は僕が男である以上は、男としての生き方に憧れるのだなと思っている。
それはつまり「何かを背負い、それに命を燃やす」ということである。「死ぬ気で生きてみる」ということである。
残念ながら、僕らの人生は一回きりのゲームである。復活はまずないと思っていた方がいい。
だからこそ、その「質」に僕らの人生の意味はあると思う。
限られているからこそ、僕らは全力で生きようとする。
もし無限の人生を生きられるなら、誰も努力などしないのだ。
そう思えば、何かを背負い、それを守りながら、前を向き攻め続けるような人生の方が面白い。
それは家族でも、社会でもいい。
しかし、人間の精神は儚くも弱い。
もし仮に社会を背負っているとしても、その際に自分にかかる重量は決して重い訳ではない。
社会は皆で支えているからだ。
しかし、家族は違う。家族を背負った男の目は、思考は違うなとつくづく思う。
Why am I here???(49/204)
Almost one and half mouth passed since I came here.
There are bunch of things that I wouldn't experienced if I were in Japan.
But, I am now regretting one thing; fearing to jump in the chance.
My English skill is still pretty low.
I can't make smooth talking with the friends.
Of course I'm sure that it's my fault, not others.
However, in there days, I got feared to talk with foreigners and made the reason to flee from
the communication.
I definitely have to make effort to improve my skill of English.
What do I lack of?
I guess it's passion and feeling of duty, the purpose to come here.
For instance, Hiro-san have passion for his family, so he can make effort.
What's my passion and dream and the goal????
And I feel that it's important to have the perspective of "how to maximize my stay here"
From the experience of this one and half month, I wanna decide my rule.
1.Wake up at 5:30
2. Come MU at 7am every morning.
3.Work out for less than hour every day
4.Study by myself for at least 6 hours.
5.Make review session within the day I got the class.
6.Go to the office hour if you don't have any question.You have to make your question.
7.Take a time to learn English itself at least 30 minutes every day.
8.Write dairy everyday to improve my lifestyle , not to remember. I live in the future
(Steve Jobs say to himself every morning " If this is the last day of my life, Am I satisfied?")
9.Jumping in the opportunities to make friends to learn their thought and fun and learn English!
10. Not become too economical( Think about why I came here and how to spend my 24 hours each day)
2015年10月27日火曜日
四分の一(48/204)
もし仮に、3/31に帰国するとして、すでに1/4が終了しかけている。
自分はこの1/4で何か成長しただろうか。
新たな自分になれているのだろうか。
全くなれていない。結局中途半端なのだ。
もっと本気で挑め。何のための留学なのだ。
節約するため?食べるため?買い物するため?
寝るため?
そうでは決してない。
留学ブログを読んでいて、自分のパッションは何だと問いかけている人がいた。
本当にそうだ。
なぜ私は留学したのか。
目標はなんなのか。
予習・復習をその日の内にしろ。
気になることがあったら、オフィスアワーを活用しろ。
授業で発言しろ。
死ぬ気で勉強しろ。
もっと集中しろ。
勉強して何かをした気になるな。
効率をあげろ。
ルーティンで生活しろ。
人のことを言っている場合ではない。
日和るな。
機会に飛び込め。
後、確実に言える僕の弱みは「準備を怠る」ことだなと思う。
受験の時もそう。
サークルもそう。
なぜ自分がこれをやっているのか、が長期的にはっきりしていないのだ。
またもし、もう一つ弱みを挙げるとすれば「やりきれない」ことだ。
果たして、就活で書いているような「やりきる」経験を今まで私はしたことがあるだろうか。残念ながら、ないのだ。
才能が全くないとは思わない。
今までもそこそこやれてきた。
でもやっぱり、「そこそこ」じゃダメなのだ。
自分はこの1/4で何か成長しただろうか。
新たな自分になれているのだろうか。
全くなれていない。結局中途半端なのだ。
もっと本気で挑め。何のための留学なのだ。
節約するため?食べるため?買い物するため?
寝るため?
そうでは決してない。
留学ブログを読んでいて、自分のパッションは何だと問いかけている人がいた。
本当にそうだ。
なぜ私は留学したのか。
目標はなんなのか。
予習・復習をその日の内にしろ。
気になることがあったら、オフィスアワーを活用しろ。
授業で発言しろ。
死ぬ気で勉強しろ。
もっと集中しろ。
勉強して何かをした気になるな。
効率をあげろ。
ルーティンで生活しろ。
人のことを言っている場合ではない。
日和るな。
機会に飛び込め。
後、確実に言える僕の弱みは「準備を怠る」ことだなと思う。
受験の時もそう。
サークルもそう。
なぜ自分がこれをやっているのか、が長期的にはっきりしていないのだ。
またもし、もう一つ弱みを挙げるとすれば「やりきれない」ことだ。
果たして、就活で書いているような「やりきる」経験を今まで私はしたことがあるだろうか。残念ながら、ないのだ。
才能が全くないとは思わない。
今までもそこそこやれてきた。
でもやっぱり、「そこそこ」じゃダメなのだ。
2015年10月19日月曜日
公園・静寂の中で(40/204)
日曜日、おそらく留学後最もダラダラした生活を送った後で、ふっと家の裏にある公園を散歩してみた。今まで、なにかと余裕がなく、訪れたことはなかったのだが、想像よりもずっと大きな公園だったようだ。北へ北へと、意味もなく歩き続ける。
その北に長く伸びた公園はおよそ何と言えるものもなかった。
逆にいうならば、そこにあったのは「無」であった。
しかし遊具も建物もなにもなく、ただただ開けた、そこ場所になぜかとても豊かさを感じるのだった。昔なにかの本で読んだことがある。「無」であるということは、無限の「有」への可能性であると。そういった意味で、ここには「無限」があった。
ただボーと歩いたり。走ったり。ベンチで本を読んだり、話したり。球技をしたり、鬼ごっこをしたり。それは確かに豊かな空間だったのだ。
高い建物のない広い空の下で過ごしていると、どうも自分がどうしてもちっぽけな存在に思えてくる。沢木耕太郎の本のコトバを借りるのであれば、「自分が自然に解き放たれる」ような感覚がする。自分はなぜ生きるか。今の人生は望ましいものか。空にそんなことを問いかけられているような気がするのだ。
僕は東京が好きだ。
あの、ごちゃごちゃした街並みにどこか「人間らしさ」を感じるからかもしれない。
でもたまには、こうした空間で自分を自然に解き放ってみて、自分について考える時間を作るべきなのかもしれない。
前に温泉に行くのは確かに魅力的だけど、温泉って果たしてそんなにいいものかなっと思ったことがある。おそらく、温泉それ自体の価値はそこまででもないのだろう。でもいつもより少し遠くへ足を運んで、露天の温泉につかり、リラックスしながら、眺める森、そして広い空、我々はそれを見に行っているのかもしれないと思う。
こんなことを考えていて、デービスが前より少し好きになった。確かにデービスはなにもない。しかし、ない中でなにを作っていくかは自分自身である。そして、言ってみれば、ここデービスは今まで20年以上の人生の中で初めて訪れた人生の「温泉」なのかもしれない。ここには「無限」がある。
そう思うと少しポジティブになる。
2015年10月16日金曜日
夢について
現在、勉強を中心にした生活の中で自分一人の時間をとれることが多い。
その中で夢について考えることがある。
今のところ私の夢は
(「開発」×「IT」)×「ビジネスサポート」みたいなことになるのではないかと思う。
「開発」はMust、やるべきだと思うこと。「IT」はWill、やりたい(わくわくする)こと、「ビジネスサポート」はCan、やれることというような分類になるのだろうか。
まだまだ他にも職種は様々あるのやもしれないが、
「シリコンバレー(IT)の社会起業系(開発)のベンチャーキャピタル(ビジネスサポート)」という形になるのだろう。
そう考えると、商社/財務は非常に魅力的にうつる。
その中で夢について考えることがある。
今のところ私の夢は
(「開発」×「IT」)×「ビジネスサポート」みたいなことになるのではないかと思う。
「開発」はMust、やるべきだと思うこと。「IT」はWill、やりたい(わくわくする)こと、「ビジネスサポート」はCan、やれることというような分類になるのだろうか。
まだまだ他にも職種は様々あるのやもしれないが、
「シリコンバレー(IT)の社会起業系(開発)のベンチャーキャピタル(ビジネスサポート)」という形になるのだろう。
そう考えると、商社/財務は非常に魅力的にうつる。
2015年10月15日木曜日
2015年 ノーベル経済学賞
先日、本年のノーベル経済学賞がプリンストン大学のDeaton教授に贈られた。
彼の専門は私が興味を持つところの開発経済学であり、いくつか彼に関する文章や動画を見たので、ここにリンクを貼っていきたい。
【未読】
http://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=2621334(working paper)
http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/economic-sciences/laureates/2015/advanced-economicsciences2015.pdf(ノーベル賞 Advance information)
https://www.youtube.com/watch?v=MSI9NR-YCAk(LESでの講義動画)
【既読】
http://www.nyudri.org/events/annual-conference-2012-debates-in-development/deaton-v-banerjee/
(RCTに関するベナジーVS ディートンの動画付き文章)
http://econ101.jp/マーク・ソーマ-「アンガス・ディートンが取り組/
(日本語による、ぎょうせき
彼の専門は私が興味を持つところの開発経済学であり、いくつか彼に関する文章や動画を見たので、ここにリンクを貼っていきたい。
【未読】
http://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=2621334(working paper)
http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/economic-sciences/laureates/2015/advanced-economicsciences2015.pdf(ノーベル賞 Advance information)
https://www.youtube.com/watch?v=MSI9NR-YCAk(LESでの講義動画)
【既読】
http://www.nyudri.org/events/annual-conference-2012-debates-in-development/deaton-v-banerjee/
(RCTに関するベナジーVS ディートンの動画付き文章)
http://econ101.jp/マーク・ソーマ-「アンガス・ディートンが取り組/
(日本語による、ぎょうせき
障がいの社会モデル
ゼミで以前、少しふれた「障害の社会モデル」について、東大の松井教授の分かりやすい動画が
あったのでまとめ。
・「ユニバーサルな職場」といった際に、どうしてもスロープなどのハード面に目がいきがちだが、
重要なのは「労働時間のフレキシブルさ」や「上司との相談時間」などのソフト面での支援。
「障害の医学モデル」:障害は個別的な特性
⇅
「障害の社会モデル」:障害は社会の方にある
例)我々は階段を上れるか、上れないかで健常者と障がい者を区別することができる。
しかし、もし階段が上り棒であったなら、我々のほとんど全てが障がい者になる。
つまり、社会が障がいを生み出していると考える。
ユニバーサルデザインというと、全てがユニバーサルであるべきという考える人がいるが、
それは進歩の停止をもたらす。使える人が使い、取り入れ、そうしている内に、より利用者の裾野を広げる
方向がユニバーサル。
崇高な理念ではなく、目の前にいる人がよりよく働くためにはどうすればいいかを考えるのが重要
【参考動画】
http://www.works-i.com/works20/diversity.html#sec_d
2015年10月10日土曜日
国際関係論 概論
リアリズムの巨匠、Stephen Waltが国際関係論の初学者に向けて書いた20ページ弱の論文『International Relations; One World, Many Theories』を読んだ。
現在、Upper divisionのIR科目、Politcis of Interdependenceを受講しているが、国際関係論自体は初学者であるため、徐々にこういった基礎知識をつけていきたい。
【まとめ】
現在、Upper divisionのIR科目、Politcis of Interdependenceを受講しているが、国際関係論自体は初学者であるため、徐々にこういった基礎知識をつけていきたい。
【まとめ】
冷戦前・原初の思想
・リアリズム
国際社会を自己利益・生存追求の主体としての国家が経済力と軍事力という二つの”力”を使って、競争し合っている様と捉える。
→ネオリベラリズム=人間の本質を無視し、より国際社会のシステムの影響に焦点を当てた学派
・リベラリズム
国家の純粋な能力よりも、その選考が国家行動を決めるとして、当該国・共同体の経済体制や政治体制が重要視する力する。
国家間の相互作用が政治レベルだけではなく、企業・国際機関・個人を通じて経済分野まで及ぶとする。
例えば、
国際機関による平和構築理論や、民主主義による「歴史の終わり」などはリベラリズムの例である。
・ラディカルなアプローチ
冷戦前までの有力なアプローチは「マルクシズム」であった。マルクシズムは資本主義を様々な闘争の根源とした。ネオマルクシズムにおいては、巨大な資本主義国家がその他の貧しい途上国を搾取することで富んでいるという世界観を示した。しかし、これらは冷戦の終結とともに急速に収束していった。
※追記:国内官僚組織や各国首脳に注目して、国家の国際的活動を説明する方法もあるが、これは上記の3つに対する補足とみなされることが多い。
冷戦後の新しいパラダイム
・復活したリアリズム
リアリズムは冷戦後も一定の地位を築き続けている。
近年では相対利得・絶対利得の概念の発見/攻撃的・守備的リベラリズムの決定的な断絶が特徴的である。
・リベラリズムの新たな潮流
ソ連崩壊後、民主主義の平和を唱う理論が生まれる。またグローバリゼーションの中での経済の相互連関の理論でも未だ強い影響力を持っている。
・コンストラクティビズム
コンストラクティビズムは分析対象を国家ではなく、エリートを中心とした個人に向け、そうした個人の信念や共同体の規範が国家の行動を左右すると主張する。
【参考Web】
http://geopoli.exblog.jp/23511707/
2015年10月6日火曜日
ライフワークバランスについて考えること
世界的に働きすぎると言われている日本人にあって、
最近ワークライフバランスなる言葉が流行っている。
そして、キャリアにおいてもワークライフバランスをしっかりとれるような企業がホワイト企業として適切な評価を受けている。父の長時間労働を常に見てきた身としては、こうした風潮に対し、ポジティブな印象を抱いている。
しかし、ライフとワークを必要以上に分けて考えることに関しては否定的である。
英語においては全く意味が一緒であるから分かりにくいが、ここでいうライフは当然、日常生活としてのライフである。
私が強調したいことは、自明なことではあるのだが、ここでいう「ライフ」と「ワーク」の上にもう一つ”ライフ”、人生としての
”ライフ”があるということである。
この”ライフ”をどう生きたいか。
その上でどう「ライフ」と「ワーク」を構築していくか。
そして、そうした目標を胸にいかに今を生きるか。
こう考えるべきではないだろうか。
さらっと付け足したが、最後の「いかに今を生きるか」は非常に重要である。
僕らは目標などを立てて、どうしても抽象に逃げたがるが、私達が生きているこの世界は、人生は、
どうしようもなく具体的である。
この具体性に対して、自分がどう生きるか。
『夜と霧』にもあったように、
私が生きる意味を問うのではなく、生そのものが私に問うのである。
これは一見、言葉尻には理解しにくいことかもしれない。
しかし、私は「今の行動によって、自分の生そのものに自分の生きる意味を示す」
ということだと理解している。
結局のところ、今の一秒一秒が自分を形作っているのだから。
TEDxUC Davis
I went to the TEDxUC Davis at 10/3.
There are four talk and some performance.
Considering cost and time, it is not good experience, but I could learn something from it.
So I'm gonna write about it.
【What was the purpose of Museum】
The woman making presentation is the kind of curator of museum.
The first thing I realized from her talking is that the museum also is the place for users.
If the goal is storing the historical legacy, it is better to put them into some warehouse.
So it is perfectly important to think about "user experience" for museum.
What is the best way to display them?
What kind of picture is needed to enhance guest's experience?
As I realized before, all of the services including the museum give their customer "experience", instead of the things.
And the second thing is that one of the purpose of museum is conveying "who you are" and "what is the human being, nature and earth?". It means helping people make their identity, which is very broaden reason.
【The Work of Curiosity】
He mention that once you get some curiosity to particular things, it will improve your remembering ability to not only our target, but also other things. So especially for educator like a teacher, it is incredibly critical to arouse their curiosity in class.
2015年10月2日金曜日
北朝鮮のある女性の物語
先日、LiNKという団体のイベントを通して、北朝鮮から亡命してきた女性の話を聞く機会があった。
このイベントは本当にただ、彼女の話を聞くだけに終わった。
しかし、彼女のストーリーはあまりにも残酷で、それでも今ここアメリカで足を落ち着けて立っているという事実に人間の強さを感じた。
日本にいれば、このような機会はなかっただろうし、彼女のストーリーを大まかにまとめよう。
彼女の父親は官僚組織のお偉方だったらしい。
平壌に済んでいた1980年代後半から、1990年代前半にかけて食糧供給は順調で、彼女の家族は父親の立場のおかげもあり、不自由のない生活を送っていたらしい。
しかし、1994年に金日成が息絶え、金正日の治世になってから、状況は大きく変わった。平壌への食糧供給はしだいに衰えていき、(おそらく彼女の父親の権力的失墜もあったのかもしれないが)彼女の家族は田舎に逃げることにした。(とはいえ、北朝鮮では移動の自由は認められていないため、逃げることができたという面で彼女の父親の力はまだ残っていたと見ることもできる。)
田舎の方が食糧がある、というのは今もそうらしい。
ただ、野菜などはあっても、肉などのタンパク源がない。彼女の妹はネズミを煮て、食うことで幼児の栄養失調状態から脱したということだ。
田舎ですら、それほど食糧が足りてなかったのである。そして特に冬、そして冬開けの4月などは前年の生産物を食い尽くすため、餓死者が増加するらしい。
兄弟姉妹4人、両親2人、祖母1人の8人の家族を支えきれないと判断した、彼女両親は危険を覚悟の上、中国へ食糧の探索に行くことにした。
子供を身ごもっていた母親は途中で引き返したが、父親はそのまま中国へ入った。
しかし父親はいくら待てど帰ってこない。
しばらくして、政府より父親が脱走の疑いで射殺されたことを知らせる手紙を受け取った。
それから、母は身ごもった子供を生んだため、家には子供が5人いることになった。
母は当初、生まれてきた子供を殺そうとしたが、できなかった。その子供になにも罪はないからである。
母は父の死で塞ぎこんでしまったため、今度は長女が食糧の探索にでることにした。彼女は数日で戻ると言い残し、数週間の間帰ってこなかった。
当時、高校生ぐらいの年齢であった長女は誘拐され、中国に売り払われてしまったらしいという情報を後から受け取った。
その後、彼女は自分が家族を支えるという想いを胸に懸命に、ついこの間生まれた赤ちゃんの世話をした。しかし、栄養失調が原因で彼は彼女の胸の中で死んでいった。そして、あまりの状況に精神的に病んでしまった祖母もなくなってしまう。
いよいよ、彼女達の家族は中国へ逃げることを決意した。
そして山の上り下りを繰り返した。彼女は生き残った兄弟達の中で最年長として弟を、母は妹をおんぶしていた。
途中、靴もなく、足があまりにも痛んだ彼女は母に自分はこれ以上弟を運べないことを告げた。
そこで、母は弟を知り合いの家に預けることにした。
弟は「なぜ僕ではなく、妹を連れて行くのか」と泣き叫び続けたらしい。
それでもなんとか、迎えにくるからと説得し、家を出て、国境の川を渡った。
この川は一方通行だと知りながら。
彼女は今でも、あのときのことを後悔しているという。
自分があのとき痛みを我慢し、母親になにも告げなければ、自分の横に弟がいたかもしれないからだ。
後から、知り合いに聞いた話では、知り合いの家もいよいよ食糧がなくなり、弟は家を追い出されてしまい、道ばたで餓死してしまったということだ。
中国に入ってからも苦難は続いた。
中国で見つかってしまっては、本国に連れ戻されてしまう。中国語をひたすら勉強し、家族のために働いた。
あるとき、ある慈善家が韓国に連れて行くことを提案した。
彼女は承諾したが、車に乗ることができる人数は限られていた。
中国語ができた彼女は仕方なく、家族を目的地、北朝鮮と中国の国境に送ってもらい、自分は別のルートで行くことにした。
しかし、道の途中で警察に捕まり、拷問を受けることになる。
殴られ、吊るされ、顔は別人のように、自分の力で立てなくなっていた。
その後、その警察が慈善家とつながっており、解放が許され、彼女は家族と合流できた。(警察は彼女が来ることを知っていたらしい)
しかし、彼女達家族は北朝鮮から韓国に移動する際に、警察に捕まってしまう。
監獄にいれられ、数ヶ月後、解放され、その後も逃げ続ける生活が長らく続いた。
最後には、慈善家が韓国への逃亡を計ってくれ、彼女は無事韓国へ亡命、その後、慈善家の手はずでアメリカに母・妹・自分の三人で訪れ、今にいたるということだ。
その後も彼女の苦難は続く。
アメリカという全く異質の環境で、彼女は母・妹を養うために一日16時間以上働き続けた。
そして、渡米から5年立ち、ようやく米国人への恐怖を克服、勉強を始め、8年たった今では英語も話せるようになった。
そして自分の同じような環境にある北朝鮮の人たちを救うため、彼女は団体を立ち上げ、現在活動している。
今回は彼女が語ったことをそのまま叙事的に書き綴ったが、それでもなお彼女の人生の物語は我々に様々な訴えをしてくる。
我々が意識すべきなのは、これが決して歴史ではなく、現在進行形として起こっている事実・現象なのだということだ。
第二次大戦後も、様々な戦争が絶えないように、ホロコーストが全ての非人間的行為の終点ではない。
日本にいると、どうしても政治体制としての北朝鮮、核問題、拉致問題に目がいきがちである。当然、それらは国際的に、あるいは日本人として非常に重要なイシューではあるけれど、その足下で飢餓・圧政に苦しんでいる、”人間”がいるということを我々は忘れてはいけない。
このイベントは本当にただ、彼女の話を聞くだけに終わった。
しかし、彼女のストーリーはあまりにも残酷で、それでも今ここアメリカで足を落ち着けて立っているという事実に人間の強さを感じた。
日本にいれば、このような機会はなかっただろうし、彼女のストーリーを大まかにまとめよう。
彼女の父親は官僚組織のお偉方だったらしい。
平壌に済んでいた1980年代後半から、1990年代前半にかけて食糧供給は順調で、彼女の家族は父親の立場のおかげもあり、不自由のない生活を送っていたらしい。
しかし、1994年に金日成が息絶え、金正日の治世になってから、状況は大きく変わった。平壌への食糧供給はしだいに衰えていき、(おそらく彼女の父親の権力的失墜もあったのかもしれないが)彼女の家族は田舎に逃げることにした。(とはいえ、北朝鮮では移動の自由は認められていないため、逃げることができたという面で彼女の父親の力はまだ残っていたと見ることもできる。)
田舎の方が食糧がある、というのは今もそうらしい。
ただ、野菜などはあっても、肉などのタンパク源がない。彼女の妹はネズミを煮て、食うことで幼児の栄養失調状態から脱したということだ。
田舎ですら、それほど食糧が足りてなかったのである。そして特に冬、そして冬開けの4月などは前年の生産物を食い尽くすため、餓死者が増加するらしい。
兄弟姉妹4人、両親2人、祖母1人の8人の家族を支えきれないと判断した、彼女両親は危険を覚悟の上、中国へ食糧の探索に行くことにした。
子供を身ごもっていた母親は途中で引き返したが、父親はそのまま中国へ入った。
しかし父親はいくら待てど帰ってこない。
しばらくして、政府より父親が脱走の疑いで射殺されたことを知らせる手紙を受け取った。
それから、母は身ごもった子供を生んだため、家には子供が5人いることになった。
母は当初、生まれてきた子供を殺そうとしたが、できなかった。その子供になにも罪はないからである。
母は父の死で塞ぎこんでしまったため、今度は長女が食糧の探索にでることにした。彼女は数日で戻ると言い残し、数週間の間帰ってこなかった。
当時、高校生ぐらいの年齢であった長女は誘拐され、中国に売り払われてしまったらしいという情報を後から受け取った。
その後、彼女は自分が家族を支えるという想いを胸に懸命に、ついこの間生まれた赤ちゃんの世話をした。しかし、栄養失調が原因で彼は彼女の胸の中で死んでいった。そして、あまりの状況に精神的に病んでしまった祖母もなくなってしまう。
いよいよ、彼女達の家族は中国へ逃げることを決意した。
そして山の上り下りを繰り返した。彼女は生き残った兄弟達の中で最年長として弟を、母は妹をおんぶしていた。
途中、靴もなく、足があまりにも痛んだ彼女は母に自分はこれ以上弟を運べないことを告げた。
そこで、母は弟を知り合いの家に預けることにした。
弟は「なぜ僕ではなく、妹を連れて行くのか」と泣き叫び続けたらしい。
それでもなんとか、迎えにくるからと説得し、家を出て、国境の川を渡った。
この川は一方通行だと知りながら。
彼女は今でも、あのときのことを後悔しているという。
自分があのとき痛みを我慢し、母親になにも告げなければ、自分の横に弟がいたかもしれないからだ。
後から、知り合いに聞いた話では、知り合いの家もいよいよ食糧がなくなり、弟は家を追い出されてしまい、道ばたで餓死してしまったということだ。
中国に入ってからも苦難は続いた。
中国で見つかってしまっては、本国に連れ戻されてしまう。中国語をひたすら勉強し、家族のために働いた。
あるとき、ある慈善家が韓国に連れて行くことを提案した。
彼女は承諾したが、車に乗ることができる人数は限られていた。
中国語ができた彼女は仕方なく、家族を目的地、北朝鮮と中国の国境に送ってもらい、自分は別のルートで行くことにした。
しかし、道の途中で警察に捕まり、拷問を受けることになる。
殴られ、吊るされ、顔は別人のように、自分の力で立てなくなっていた。
その後、その警察が慈善家とつながっており、解放が許され、彼女は家族と合流できた。(警察は彼女が来ることを知っていたらしい)
しかし、彼女達家族は北朝鮮から韓国に移動する際に、警察に捕まってしまう。
監獄にいれられ、数ヶ月後、解放され、その後も逃げ続ける生活が長らく続いた。
最後には、慈善家が韓国への逃亡を計ってくれ、彼女は無事韓国へ亡命、その後、慈善家の手はずでアメリカに母・妹・自分の三人で訪れ、今にいたるということだ。
その後も彼女の苦難は続く。
アメリカという全く異質の環境で、彼女は母・妹を養うために一日16時間以上働き続けた。
そして、渡米から5年立ち、ようやく米国人への恐怖を克服、勉強を始め、8年たった今では英語も話せるようになった。
そして自分の同じような環境にある北朝鮮の人たちを救うため、彼女は団体を立ち上げ、現在活動している。
今回は彼女が語ったことをそのまま叙事的に書き綴ったが、それでもなお彼女の人生の物語は我々に様々な訴えをしてくる。
我々が意識すべきなのは、これが決して歴史ではなく、現在進行形として起こっている事実・現象なのだということだ。
第二次大戦後も、様々な戦争が絶えないように、ホロコーストが全ての非人間的行為の終点ではない。
日本にいると、どうしても政治体制としての北朝鮮、核問題、拉致問題に目がいきがちである。当然、それらは国際的に、あるいは日本人として非常に重要なイシューではあるけれど、その足下で飢餓・圧政に苦しんでいる、”人間”がいるということを我々は忘れてはいけない。
いつの間にか10分の1が終わってる。。。(22/204)
思ったことはタイトルにある通り。
もし3月末に帰ることにするならば、もう10分の1が終わってしまっているということ。
しかし、最近ようやくこっちの生活に慣れてきたといったところだ。
帰国準備など含めて、こちらにいられる時間はそんなに長くないのだということが実感される。
一日一日を大切に生活する。
今後、クラブに入る、あるいは勉強面でテストなどが入ってくるとより忙しくなることは間違いない。
そういった中で、自分に残された時間をいかに有効に使うかはしっかりと考えなくてはならない。
ここで、どの日にどのくらいの割合が終わってしまうのかを書こう。
5分の1)10/21
4分の1)10/31
3分の1)11/16
2分の1)12/18
3分の2)1/23
5分の4)2/20
うおーーー、以外に短い。できることってそんなに多くないね。
もし3月末に帰ることにするならば、もう10分の1が終わってしまっているということ。
しかし、最近ようやくこっちの生活に慣れてきたといったところだ。
帰国準備など含めて、こちらにいられる時間はそんなに長くないのだということが実感される。
一日一日を大切に生活する。
今後、クラブに入る、あるいは勉強面でテストなどが入ってくるとより忙しくなることは間違いない。
そういった中で、自分に残された時間をいかに有効に使うかはしっかりと考えなくてはならない。
ここで、どの日にどのくらいの割合が終わってしまうのかを書こう。
5分の1)10/21
4分の1)10/31
3分の1)11/16
2分の1)12/18
3分の2)1/23
5分の4)2/20
うおーーー、以外に短い。できることってそんなに多くないね。
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