2015年9月8日火曜日

『デザインのデザイン』(原研哉)

『デザインのデザイン』(原研哉)

最も刺さった、納得した言葉
「「無何有の郷」とは荘子の言葉で、何もないこと、無為であることを言う。しかしそこには価値観の転倒があり、一見無駄で役に立たない
ようなものほど実は豊かであるというものの見方を含んでいる。器は空っぽであるからこそものを蔵する可能性を持つ訳で、未然の可能性を持つことにおいて豊かなのである。」

空っぽであることの価値。
TISPもそういう側面があるプログラムだったのかもしれない。
詰まってないからこそ、参加者間の会話が促進され、
つながりが生まれる側面は多いにある。
そこには何も詰まっていないように見えて、未知数が詰まっている。

学び
デザインとは何か
デザインは生活から生まれてくる感受性


アメリカのデザインの根本にあるのは、経営資源としてのデザインの活用

映画批評 『ハンナ・アーレント』

映画批評 『ハンナ・アーレント』

およそ女性哲学者として、唯一その名を歴史に深く刻んであろうハンナ・アーレントの半生を描いた映画。作品としては主に『イェルサレムのアイヒマン』を中心に、執筆前のイェルサレムへのアイヒマン裁判の傍聴、執筆後のユダヤ人コミュニティからの強烈な批判がなされるという構造である。本作が優れているところは、アーレントをあくまでも恋や愛に揺れ動く一人の女性として扱った点にあると思われる。哲学者という言葉にはどこか客観的な、非社会的なニュアンスを感じざるを得ないが、本作はそのような偏見を崩すという意味でも良作である。

では、以下私が個人的に気になった点に関して記述する。

・悪の凡庸さ

これはイェルサレムにおけるアイヒマン裁判傍聴を通して、発見された概念である。
これは、「悪は常に根源からして悪である」という人々の願望に異を唱えるものであった。
それはつまり、悪なる行為は悪魔のような個人によってのみなされるものではなく、
全ての人に起こりうるものであるということである。
この「凡庸なる悪」は主に自身の機械化、思考・意志の停止によって生じる。

アイヒマンは裁判の中で、彼自身罪の意識はないと語った。
彼はただ彼の仕事をしただけであった。
ユダヤ人の強制収容所への運搬をいかに効率的に行うか。
彼のやったことはそれだけであり、彼自身が直接手を下した訳ではない、という主張である。

我々は果たして我々自身の生活において、思考・意志の停止に陥っていないだろうか。

例えば私はゴミを捨てるとき、行政の定めた分別法に従って、捨てている。
しかし、ひょっとすると、行政自身はコスト削減の関係から、環境破壊を起こすような、
最悪のケースを考えれば、人命に影響を与えるような廃棄法を採っているやもしれない。
それを裁判で弾劾されれば、私は「知らなかった」と答えるであろう。
しかし、アイヒマンも(当然、問題のレベルは異なるし、彼は勿論自身が運搬したユダヤ人達の
運命を知っていたではあろうが)同じであったのである。

ケーススタディとして、彼はユダヤ人が彼の運搬後どのようになるのかを完璧に知らなかったケースを考えよう。
彼は罪を負うべきであろうか。
私のイメージとしては罪を負わねばならないが、その罪は軽くなるだろう。
(業務過失致死のようなイメージであろうか)

それは彼がどのような意図を持っていようと、結果としてユダヤ人の大量殺戮を幇助していたことに
変わりはなく、それによる遺族の悲しみや個人の痛みは変わらないからである。
「法」は誰のためにあるのか。それを考えざるを得ないような映画である。

話が若干逸れたが、肝心なのは自分(達)が現在そのような状態に陥っていないかを常に考えることである。
仮に自分がアイヒマンの立場になったとしたら、自分は勇気をふるって、それに異を唱えられるか。
もし自身が異を唱えたところで更迭されるだけであり、ユダヤ人殺戮が変わらないとしても、
それに非難の声を挙げられるだろうか。

様々なことを考えさせる作品であった。


・思考の重要性

「悪の凡庸さ」においても絶え間ない思考と、意志が重要であることを述べた。
彼女の「思考」の重要性に関する萌芽はハイデガーによるものと描かれる。(おそらく正しい)
ハイデガーは思考とは本質的に何も世界を変えうるものではない、と述べる。
確かにいくら「自分とは何か」を考えつくしたところで、貧困が解決される訳ではないし、
より良い法律が構築される訳ではないし、企業業績が良くなる訳ではない。
ただし、多くの哲学者(例えばカントなど)が規定するように、思考あるいは理性こそ

人間を人間足らしめる要素(そして他の動物との差)であるとしている。

2015年9月4日金曜日

『政治学のリサーチ・メソッド』(スティーブン・ヴァン・エヴェラ)

『政治学のリサーチ・メソッド』(スティーブン・ヴァン・エヴェラ)

表題の通り、政治学の研究をするにあたってのメソッドがまとめられている。
政治学に限らず、特に社会科学系の研究にあたっては非常に参考になる良書であると思う。


【仮説・法則・論理】

まず重要なのは政治学においても最も重要なのは「因果関係」であることをしっかりと頭においておくことである。
A→Bであることである。そして、研究において必要なのはA⇔Bでないこと、A→C→B等でないことをしっかりと示すことである。(真実がA→Bのとき)

理論:因果法則あるいは因果関係を示す仮説。

よい理論:①事象を説明する力が高いー重要性・説明範囲・現実への適用可能性の高さ
②簡潔 ③好奇心を充たすもの ④明確に組み立てられたもの ⑤反証可能 ⑥重要な事象を説明
⑦現実への処方に富む。

よい理論を生み出すには:①「outlier」事例を考える ②「差異法」=全体的な特徴は似ているが、研究変数のみが異なっている事例を調査
③研究変数の値が極端に高いか低い事例を選ぶ ④反実仮想分析=もし〜がおこっていないかったらどうなっていただろうか。等
⑤他分野からの援用  等


【理論検証】
理論検証の方法は基本的に2つ、実験と観察による。しかし社会科学においては、実験を実際に行うのは非常に困難であることから、
ほとんどの場合、観察による検証を行う。そして、観察における検証も2パターンある。
統計分析を行う定量的な多数事例研究(large-n)と少数の事例を精査する定性的な事例研究(case-study)である。

事例研究はかく乱を起こす第3の変数の影響を制御する機会が最も少ないと主張する学者もいる。
確かにその側面はあるが、①似た背景にある複数の事例を観察する(実質的には困難)、あるいは②研究変数の値が極端な研究事例を選択することでそれらは調整することができる。


また事例研究は因果関係の経路をより細かく指し示してくれるという効果もある。
例えば、ある教育プログラムの実施が大学進学率を上げたとすると、具体的にどのように先生は教え、
子供のどの部分の成績が上がり、その他生活態度に変化はあったかなどは事例研究による細部調査によって分かることである。
すなわち、計量分析における「ブラックボックス」を明らかにする作用を持つ。


【博士論文の7体系】
1.理論提唱型
2.理論検証型(1と2はしばしば同時になされる)
3.先行研究評価型
4.政策評価型
5.歴史説明型
6.歴史評価型(事実に語らせる歴史学はこれを評価しない。しかしそれは目的の違いにある。歴史学は「歴史の真実を明らかにすること」
一方、政治学は「現在や未来の問題の解決策を過去から学ぶこと」も目的に含むのである。)
7.予測型

【博士論文 テーマの見つけ方】
・「誰かが書くべき本や論文」リストを作成する。
・授業の科目終了後、その科目の授業で取り扱ったトピックにおいて何が欠けていたかをメモ



『わたしを離さないで』(カズオ・イシグロ)

先日、NHKの白熱教室番組を見た「カズオ・イシグロ」の作品。

内容としては、臓器提供者として生まれた子供達が「ヘールシャム」という施設の中で育ち、多少の抵抗の後、ある意味受動的にその「生の意味」を受け入れ、臓器提供し、死んでいくという何ともミステリアスな話である。

http://www.kaz-ohno.com/special/kazuoishiguro.html

以上のリンクは、カズオ・イシグロのインタビュー記事である。白熱教室でも見たが、彼はいわゆる舞台設定や登場人物に必要以上の重きを置かない作家であるようだ。つまり、彼は彼が伝えたいメッセージや、考えるべきテーマを中心に話を構築するタイプの作家である。(彼曰く「かなり抑制の効いた作家」)

今回で言えば、「臓器提供」が全面に押し出されたテーマだったと言えるだろう。しかし、彼が本当に問題にしたかったのは「死」をいかに捉えるか、ということであったという。


「私が昔から興味をそそられるのは、人間が自分たちに与えられた運命をどれほど受け入れてしまうか、ということです。こういう極端なケースを例に挙げましたが、歴史をみても、いろいろな国の市民はずっとありとあらゆることを受け入れてきたのです。自分や家族に対する、ぞっとするような艱難辛苦を受け入れてきました。なぜなら、そうした方がもっと大きな意義にかなうだろうと思っているからです。そのような極端な状況にいなくても、人はどれほど自分のことについ.て消極的か、そういうことに私は興味をそそられます。自分の仕事、地位を人は受け入れているのです。そこから脱出しようとしません。実際のところ、自分たちの小さな仕事をうまくやり遂げたり、小さな役割を非常にうまく果たしたりすることで、尊厳を得ようとします。時にはこれはとても悲しく、悲劇的になることがあります。時にはそれが、テロリズムや勇気の源になることがありますが、私にとっては、その世界観の方がはるかに興味をそそります。別にこれが決定的な世界観だと言っているのではありませんが、このような歪んだ世界観を描くならば、『日の名残り』でも、この作品でもやったように、常にその方向に行く方を選びたいのです。『日の名残り』は、執事であることを超える視点を持ちようがない執事についての話です。我々はこれと変わらない生き方をしていると思います。我々は大きな視点を持って、常に反乱し、現状から脱出する勇気を持った状態で生きていません。私の世界観は、人はたとえ苦痛であったり、悲惨であったり、あるいは自由でなくても、小さな狭い運命の中に生まれてきて、それを受け入れるというものです。みんな奮闘し、頑張り、夢や希望をこの小さくて狭いところに、絞り込もうとするのです。そういうことが、システムを破壊して反乱する人よりも、私の興味をずっとそそってきました。

- 現実に逆らって逃げることはできませんね。それも自分の一部ですから。

イシグロ もちろんそうです。究極的な言い方をすれば、私は我々が住む人間の状況の、一種のメタファーを書こうとしていたのです。幸運であれば、70歳、80歳、恐らく90歳まで生きることができますが、200歳まで生きることはできません。つまり現実には、我々の時間は限られているのです。いずれ老化と死に直面しなければなりません。確かに私は、このストーリーの中で、若い人がかなり早く年を取る状況を人工的に作りました。つまり、彼らが30代になると、もう老人のようになるのです。でもこれは、我々がすでにわかっていることを、別の新しい観点から認識させてくれる方法に過ぎません。人生についての疑問や希望を、我々が実際に直面するものと同じようにしたかったのです。」


とのこと。

この文章を読むと、自分自身浅い読み方しかできていなかったように思う。

少し、「死」と関連づけて話をすると、やはり我々は「死」があるからこそ、人生をより望ましいものにしよう、向上しようと思うのだということを最近実感する。

仮に人生が無限であるならば、今努力をしなくても、どこかのタイミングで努力を始めれば、追いつける。多様な人生を生きられる。

2015年9月1日火曜日

留学に向けて(9/1)

9月1日の深夜2時半、いつものように眠れずに今に至っている。
どうしてだろうか。
思うに「9月」、出国の「9月」が訪れてしまったからだと思う。

留学を前にして、今までどことなくあった「このまま9月10日は訪れないのではないか」、あるいはこのまま「留学などしないのではないか」という考えが「9月」の訪れを前にして、砕け散ったのだろう。

自分で望んですることなのに、どことなくためらわれる。この得体のしれない不安はどこから生じるのだろう。

思うに、これはある意味で自分にとって大きな「巣立ち」なんだと思う。
今まで僕はあまりに家族に、友達に守られすぎてきた。
正直、留学の理由は様々あるけど、一つには「自分がこのまま家族や社会を背負って、飛べる人間」であるのか不安になってきたことが大きい。
なにかあれば、守ってもらってきた今までの自分を超えて、自分の重さに加えて、誰かの重さをのせていけるのか。

今の自分に何があるだろう。

ふっと、自分の東大受験の意図を考えると、この自分の「気合いへのコンプレックス」みたいなものが大きくあったように考えている。

土木建築の仕事がヤダから勉強したというよりも、土木建築の仕事を続けて、家族を支えていく自信が僕にはなかったのだろう。

結論もなく、陳腐な文章ではあるが、これは今の率直なる気持ちである。

2015年8月25日火曜日

随時更新されるべき大学卒業までにやりたいこと

大学生活も気づけば残り1年半になった。
就職すること、つまり生産者側に周るということを考えると、学生にしかできないことが多々あることに気づく。

その上で大学卒業までにやっておきたいことを考えたい。
考え方としては、やりたいことを列挙し、合体できるものについては合体し、
優先順位が低いものを排除して考えていく。

では、以下ただ列挙する。

・留学
・発展途上国への長期滞在
・デザイン系の思考の習得
・ITリテラシー
・経済学を深める
・統計学を深める
・政治学を深める
・金融リテラシー
・出版業界でのインターン
・本を大量に読む
・世界各国を旅する
・今後5年、10年やっていきたいことを見つける(?)
・哲学系の思索を深める。
・英語習得
・スペイン語習得
・有名海外大学への短期プログラム参加
・非有名系大学への短期プログラム参加

これを整理すると、こうなる
//////////////////////////////////////////////////
留学(9−6月)
・経済学、統計学、政治学を深める
・英語習得

就活(6月ー8月)

帰国後インターン(9−12月)
・IT、デザイン系?
・出版系?

発展途上国インターン?(12月−3月)
・スペイン語圏
////////////////////////////////////////////////////
こうして考えると、
・本を大量に読む
・有名海外大学への短期プログラム参加
・非有名系大学への短期プログラム参加
・哲学系の思索を深める
・世界各国を旅する

はできそうにないな。

しかし、本はいつでも読める訳だし(自分は集中して24時間本を読めるわけではない)
哲学系思索も同様。
世界各国の旅行については就職してからも確実に趣味として行うだろうから、
無理にこのタイミングでしなくてもと思う。
(一方で帰国後インターンもなにも週5でやる必要はないわけで、
勉強できる部分もあると思う。

有名海外・非有名大学への短期プログラムはできれば参加したかったな。
これができうるのって、もはや帰国後しかないんじゃないかなー。
うーん、難しい。大概「サマーセッション」しかないからな。


オータムプログラムとかないんかな?