2015年7月16日木曜日

国会議事堂前のデモを見て思うこと

集団的自衛権に関する法案が衆院本会議を果たした本日、国会議事堂前で行われているデモを見に行った。そこで思ったことを適当に書き連ねる。

・実際に訪れて気づくのは、(19時前後という時間もあってか)老人7割、若者2割、その他1割くらいの人口構成であるということである。老人が選んだ安倍政権を老人が拒絶するという構造がなんともオモシロい。(老人というくくりが雑すぎるのは承知の上で発言している)

・「強行採決徹底糾弾!」「安倍政権は今すぐ退陣!退陣!退陣!」などのシュプレヒコールがなされていた。果たしてデモという行為の正当性はどこにあるのだろうか。
曲がりなりにも民主的なプロセスの中で、選出された国会に意義を申し付けるというのは正しいあり方なのだろうか。
おそらく、その正当性は2点から導きだすことができると考えられる。
まず一点目は衆院であれば4年という任期の中で、意見を変えるという可能性である。国会議員は民意の奴隷である必要が必ずしもあるわけではないが、ある程度、民意を反映する必要がある。
そして、選挙時に嘘をつく可能性である。今回であれば、9条はいじりませんと選挙公約を出しながら、就任したとたんに態度を変えるような場合である。

・これほど国家というものを強く感じることは少ない。思い返すのはヨーロッパを廻った際、プラハでどこかの革命で死亡した若者への追悼のろうそくがともされていた光景である。あのときは、少し離れたところで国家と国民が対立し、死亡者が出ていたのだ。

・先ほどのシュプレヒコールを叫ぶ人々に囲まれて、動悸が高まるのを感じた。また引き返す際には多少のプレッシャーを感じた。あの場はまさしく興奮に包まれていた。叫んでいた人たちは自分がなぜ反対していたとか、どこに疑問を抱いているかとか全てとんでしまっているだろう。あれはまさしく熱狂であり、スポーツ観戦とほとんど変わらない。


・政治的無関心は忙しさに強い相関があるように思う。老人とか失業した若者とかは時間があるから、政治に意識を向けられる。

0 件のコメント:

コメントを投稿