2015年4月23日木曜日

『悩む力』(姜尚中)



『悩む力』(姜尚中)

ブリーフィング

ヴェーバーと漱石という同時代に生きた天才を通して、
未解決の問題にあふれた「現代」における、”悩む”ことの重要さを説いている。

・私とは何者か
「脱魔術化」され、自由を与えられた我々は
ひどく孤独である。
この孤独を打ち消すには「相互承認」しかなく、
「相互承認」するためには自分を他者に対して投げ出す必要がある。

・世の中全て「金」なのか
「創始者意識」(=バブル)と「末流意識」(=現代)がある。
「末流意識」においてはみな時代に対してなんらかの不満がありながら、どこか諦めている。

新たな「帝国主義」

・「知ってるつもり」じゃないか
電車に乗っていても我々は電車の構造を知らない。
Informationはあるが、Intelligenceはない。

世界は行き先も分からず、進む。
それに対し不安を抱くが、かといって古きに拘泥するのも不幸である。

・「青春」は美しいか

青春とは「無垢なまでにものごとの意味を問うこと」

人間の老成には二種類ある。
「表面的な老成」か「青春的に老成する」か


・「信じるもの」は救われるか

宗教は制度であり、人は信じるものを求める。
科学も我々に対して、信じるものを与えてくれない今、
我々は何か自分が確信できるものを見つけるために悩まなくてはならない。

・何のために「働く」か

我々は金があれば、働かないのか。
我々は働くことで社会に自分がいてもいい、ということを実感するにすぎない。

・「変わらぬ愛」はあるか

”自由”が愛を不毛にした。
過去、なんらかの縛りがあったからこそ、
人は比較できた。(お見合い結婚、そこからの不倫など)

愛とは「そのときどきの相互の問いかけに応えていこうとする意欲」


・なぜ死んではいけないのか

フランクル:人は相当の苦悩に耐える力を持っているが、意味の喪失に耐えきれない。
相互承認こそが人間に生きる意味を与える。


・老いて「最強」たれ

福沢諭吉:「一身にして二生を経る」

死を受け入れたが故に、老いは横着者を生み出せる。
それが破壊力を生み、今を変える力になる。


感想

私が留学にいって、考えたいのもこのようなことだろう。
我々はなぜ生きるのか。
自由であることの弊害とはなにか。
自分を相手に放り投げられるか。

こうした種々の疑問に「悩む」こと、そのプロセスが「青春的な老成」を生む。

私が抱いていた疑問もおそらくこういうことなのだろう。
表面的なスキルを追い求めて、「ホントウニタイセツナコト」から目をそらしている。

そこに対して全力で悩む時期にできればいい。

特に就職を前にすると、こういったことは本当に重要であると実感できる。
多くのスキルを手にいれ、努力した後に自分はどうなっているのか。
本当にそこに生きる意味を見いだせるのか。

そういった意味では人生とは生きる意味を見いだすための旅である。

宗教も国家も科学も、正しいと思えるものが何もないと思えるこの時代において、
自分にとって確からしいものを探すこと、その青臭さを大切にしたい。

また「相互承認」は個人的に刺さる言葉であった。
私は今、ひどく逃げ回っている状態であると思う。
だからこそ、満足できていない。
人間は一様ではなく、完全に分かり合うことは不可能である。

しかし、その中でも相手と真剣にぶつかり、生きていくこと。
それが重要であることが再確認できたのが良かった。

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