2015年4月25日土曜日

『僕たちの前途』(古市憲寿)

『僕たちの前途』(古市憲寿)

ブリーフィング

いわゆる”起業家”の社会学的な分析を中心にし、前半で現在の若手起業家の実像を作者の友人をベースに伝記調で記し、後半で”起業”を通した日本人の働き方の推移を語っている。

前半:
ここで語られる起業家、つまり作者が所属する会社の社長やTGCのプロデューサー、俳優上がりの映画監督に共通しているのは、「野心から起業しているわけではない」ということ、そして「今、ここ」における楽しみを人々との「つながり」から見いだしている点に特徴がある。
この点は作者がホリエモンや孫正義によって形成された人々の起業家感(「野心に満ち、時に非情など)」を揺さぶる目的があると思われる。



後半:
様々な統計的問題(自営農をどう捉えるかなど)はあるが、日本の”起業家”数はここ100年ほど、減少し続けている。

逆を言えば、被雇用者が増加してきたわけではあるが、「雇われて働く」ということが一般的になってきたのも、ここ何十年かのことである。それまでは多くの自営業者がリスクに向き合いながら生きてきた。被雇用者の増加を国の成長と見なす官庁の元、様々な企業が増えていった。そして現在、”国家”のような(居住の自由や職業選択の自由がないという意味で)独裁制をもつようになった会社において、日本人は働いている。(彼らはOECD所属国の内、最も所属企業が嫌いにも関わらず、働く時間はとてつもなく長いという状況に追い込まれている。)

かつて高度経済成長下の日本には成功への二つのルートがあった。良く勉強し、イイ大学に行き、イイ会社に入る。あるいは腕一本で自分の専門性を磨き上げ、「一国一城」の主となるルートだ。しかし昨今、資金調達の難しさなどから後者のルートは閉ざされ、前者のルートも過労死や、大手証券の倒産などで閉ざされつつある。(とはいえ、前者と比較して未だ健在である。)その中でいわゆる「頭の良くない」人達は一種の諦観を抱き、イイ会社ルートを離れることで自尊心を高める。そうした人たちに魅力的に移るのが、起業家なのである。仕事を専門性と流動性の2軸で分類すると、ギルド型専門職(専門職、固定的。弁護士など)、正社員(コモディティ、固定的)、フリーター(流動的。コモディティ)、非資格型専門職(専門性、流動的。IT,コンテンツ産業など)に分けられるが、この中も非資格型専門職はたとえ学歴がなくとも、成功する可能性を残すからである。(しかし実際にはその可能性は高くはない。失敗者の声は大きくは移らないのだ。)そして、希望を捨てきれない若者達はフリーターとして、(自己認知はなくとも)歯車として生きていくことになるのである。

では人口減少や高齢化など様々な問題を抱える日本に住む現在の私達はどのように働くべきであろうか。まず職業というのは手段であり、その本質ではなく、「起業家になりたい」「フリーで働きたい」というのは本当は何もいっていないことを押さえるべきだ。その上で本書では少なくとも起業をおすすめしていない。一発逆転が可能な輝かしい出来事に見えてしまうが、起業の成功は人のつながりなど自分がそれまで所属してきた団体に縛られがちなどのも事実なのだ。

感想

今、世間でにぎわっている起業家を分析した本として、(Amazon等の評価は高いとは言えないが、)非常に面白く思えた。
本書を短くまとめるのであれば、「現在、社会において声高に叫ばれ、既存企業の中においても必要とされる”起業家”だが、実際の起業家の背景に多大な努力とつながりがある。そうした中で起業家やイノベーションが求められるのは、それが自分の満足できない現状から簡単に飛躍できるように見えるからである。」といったところになるだろう。

本書が面白く感じられたのは、私もかつて起業をそのようなものとして考えてきたからである。
「アイデア一つで地位も名誉も得られる」
そんな幻想が自分にもどこかにあったように思う。
しかし実際の企業とは、起業とは自分のアイデアを売り込む営業力、資金調達のための財務知識、優秀な人材を引き入れるためのつながりなど様々な事前能力に裏打ちされているケースが非常に多いように感じている。ヴィジョンだけでは起業は不可能なのだ。





0 件のコメント:

コメントを投稿